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「ところで君は誰なの?」アミダは青年にそう言った。いくら考えても彼が誰だか見当もつかなかった。
「…僕は、まあ名前なんてどうでもいいんだけどさ、この町の住人だったやつだよ」
「住んでたの? ここに?」
「いや、何というか、どちらかというと僕はこの町に"いたんだニャ"」

 ――ニャ?

 そのとき、暗闇に包まれたこの世界に光が射しこんできた。それはあまりにも唐突だった。目が眩む。
 光線はアミダを突き刺すように鋭く、痛かった。皮膚が焼けるようだ。その衝撃は心臓に鈍く伝わってくる。
 目を閉じても、瞼の裏に白い霧のようなものが見える。息を吸いたいが呼吸のリズムが分からない。
 ずっと目を閉じていると体中をヌルヌルと愛撫されている恐怖に陥った。アミダは目を開け続けた。

「さあ、アミダさん行きますよ!」

 誰かも分からない手がアミダを光の中へ引っ張っていく。その手は指がなく、毛がふさふさとしている。
 近くにネイティオやオオタチの鳴き声が聞こえる。青年は呻いている。ゲンガーたちは嬉しそうな叫び声を上げていた。
 光に包まれた"なぞのばしょ"では、みんなの足音が鳴っていた。アミダはずっとそれを聞いていた。



 目を醒ますとスバメとウィーナがアミダの顔を覗きこんでいた。
 遠くに落雷の跡があり、エレキブルがベカを乗せて”電磁浮遊”している。
 どうやらアミダは元の場所に戻ってきたようだった。意識が飛ぶたびに、私は別な場所に飛ばされている。

「おかえり」ウィーナがにっこりとする。「何だか分からないけど、状況打破のきっかけができたよ」

 アミダは辺りを見渡す。青年は先ほどのアミダと同じように地面に倒れていて、その隣にネイティオが立っている。
 イコスの近くにイエスがぶっ倒れていて、彼の看病をするようにオオタチが2匹、傍に佇んでいた。オオタチが2匹?

 そしてこれもまたよく分からないが、ゲンガーとムウマージがグラップたちと対峙している。
 ダークライの両腕は、綺麗に切り取ったかのように、そこから先がなかった。     (#90 I 09.08.10)



「何がどうなって……」

横たわった青年を見る。先ほどは暗闇であまり見えなかった姿が今はよくわかる。
手を握られたときの感触がまだ残っている。あの感触はなんだったのだろう。
どうみても人の形をして……

きっと熱でもあるのだろう。ズボンからはみ出ている尻尾のようなものは見なかったことにする。

「アミダ!」

名前を呼ばれはっとした直後、黒い影のようなものが地面を這って高速でこちらに来ているのが見えた。
咄嗟に身を翻したが立ってもいない状態で避けるには遅く、影は私の手を掠めて、消えた。
「っぶねー……ちょっと当たったけど」
態勢を整えて、答えるのは誰でもいいから周りに聞こえる声で訊いてみた。
「誰か状況説明!」
「えーと」  答えたのはベカだった。どういう風の吹き回しだろう。
「町のポケモンみんな元人間で、グラップに操られてて、毒ポフィンでグラップ殺害可能らしいよ!」
 なにをいってるかわからない。そして状況説明ではないとはどういうことなのか。
「それさっき俺が言ったことまんまじゃんか!」
「あれ、だめだった?」
 そんなとこだと思った。     (#91 N 09.08.11)



「とにかくここはゲンガーたちに任せて急ごう、走りながら説明するから」
ウィーナはベカとアミダの手をつかんで、グラップたちがいるほうとは逆の向きに走り出した。
「え、いや待って、まだ状況把握できてない――」
「いいから早く、あいつらに勝つ糸口が見つかったんだ」
と、そこにまた影の腕が襲いかかってきた。狙いがベカだったのは幸いである。
彼は長年のゲームで鍛えた動体視力のおかげで地面からの不意打ちもギリギリで避けることができたからだ。
そしてすかさずすぐ後ろにいたエレキブルが電磁波を発射し、腕を追い払った。見事な連係プレーだった。
「へえー、あいつなかなかやるじゃん」
「いやだから早く説明してよ、わけもわからないで走ってるのは嫌なんだけど」
「ああ、そうだった。まあ簡単に言うとね、グラップ……というかダークライを倒すためには毒入りのポフィンが要る。
 でも俺たちは毒を持ってない、だから町の人から聞き出そうってこと」
「誰かと違ってわかりやすい説明だね。 ……町の人?」
「うん。話せば長くなるけど、要するにここのポケモンたちは元々人間で、でも今はポケモンに変えられてダークライに
 支配されてる。その操り状態を催眠術で一時的にでも解除して、毒ポフィンのことを聞こうって計画」
「あー……それでさっきからエレキブルの背中にネイティオがひっついてるわけね」

いつからいたのか、確かにネイティオはエレキブルに「ひっついていた」。
電気タイプは苦手なはずなのに、その表情には少しの辛さも見えなかった。もっとも、いつも無表情だが。

「あれ? そういえば今更だけどなんでついてきてんの? 誰も指示してないよね?」
「エレキブルは単にベカについてきただけだろうけど、ネイティオはきっと最初からどうすればいいかわかってたんだ」

最初からどうすればいいかわかってた――

ウィーナは何気なく言ったのだろう。しかしアミダはきっとそうに違いないと確信した。
なぜなら、誰も何も言わないのに、ネイティオがゲンガーたちに催眠術をかける瞬間をはっきりと見たから――。
そうでなければ、いくら不満があったとしても元は彼らの親玉、出会い頭に攻撃を仕掛けたりはしなかったはずである。     (#92 W 09.09.10)



「どういうつもりだ?」
グラップは薄く笑って問う やはり冷静だ
「あなた、ちがうのよ。私達と」
ムウマージが答える。ゲンガーはグラップを睨んでいる。そして言った。
「あんた、どうして『悪の波動』を使えるんだ? 『悪の波動』はあんたの能力ではどうやっても使えないはず」
「危険なんだよ……あんたみたいな得体のしれない奴は」
相も変わらずグラップを睨んでいる。今にも攻撃しそうだ。
攻撃か否か ゲンガーは葛藤していた

「ククク……ハハハハハハッ!」
グラップは低く、不気味な声で笑った。
「なんだそんなこと――」
グラップがそう言いかけた瞬間、ゲンガーの中で何かがきれた。
ゲンガーは『シャドーボール』を放った。その大きさはグラップの背丈の2倍ほどもある。

グラップに『シャドーボール』が今まさに当たらんとしたそのときグラップの前に透明な壁が作り出された。

『ミラーコート』――

大きさも、速さも、その威力も、全てが2倍にして返された。
ゴーストタイプにゴーストタイプの攻撃はこうかばつぐん。『ミラーコート』で2倍にされたので当然耐えられるわけもない。
それはゲンガーに命中した。

「ちょっ、あんた!!」
おもわずムウマージはゲンガーの元へ駆け寄る。
ゲンガーは意識があるようだ。
「へへ……持っててよかったよ……『気合の襷』……」
役割を果たしたそれは静かに消えていった。
「見えたよ……っ」
ゲンガーは意識を失った。     (#93 O 09.09.11)



「だめ、はぁ、もうだめ、はぁ、俺、はぁ、酩酊、はぁ、状態、はぁ、重症、はぁはぁ、動けない、ふぅ、死ぬ、死ぬ」
「酒飲んでないだろばか」

レンガの細い路地を走り始めてから数十分、三人と二匹は、街を東奔西走した挙句、やっとポケモン達が住む住宅地へと辿り着いたのだった。
喧騒は無く、この息切れ―特にベカの―が無かったら比喩無しに0デシベルの世界になってしまいそうだ。
「に、してもだ」
その静寂を破ったのはウィーナだった。二人と二匹がウィーナの方に振り向く。
「静かすぎないか?」
「は?」
「静かなのは好きだよ?」
二人と一匹の頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。ついでに二人と一匹はほぼ同時に「だからなに?」という表情も浮かべた。
「だからさ、静かすぎるんだよな。ほら、だってほとんどの家に電気ついてるだろ?家にだれかしらいるんだろ?それなのにこの静けさ、臭うね、凄く臭うね」
確かに辺りは窓から出てくる光のおかげで街路灯が無くても安全に歩くことが出来るぐらいの明るさではあった。
しかしながら、若干悪い自分の耳をよくすましてみても、音は何も聞こえない。いるという気配すらしない、まるでかくれんぼでもしているかのよう――
「あっ、話繋がった」
アミダがいきなり喋りだした。
「何」
「あれだよあれ、かくれんぼ。光が当たってるところに闇は出来ない、音を出したら居場所がばれる、つまりみんなグラップが襲ってくると思ってるから隠れてるんじゃ?」
「それってつまり…みんなグラップの正体を知ってるからこその対処なのかな?」
「私に聞くな、ってか早く催眠術かけようぜ」     (#94 B 09.09.12)



「『この世の関節がはずれてしまったのだ。なんの因果か、それを直す役目を押しつけられるとは!』」
 シナモンことオオタチは身振り手振りを加えながら弟のオオタチに言って聞かせた。
 弟のオオタチはシナモンの言うことに無言に頷く。呪いのことを知っているイエスは暗澹たる気持ちになる。

「シェイクスピアのハムレット」とイコスは言う。「ところで、話を戻すけど、君は本当にこの街の住人なの?」
「街の住人でした」とシナモンはにっこりする。
「なるほど」とイコスは言う。「それじゃあ、君たち兄弟はあの3人に知恵を与えてほしい」
「ダークライとグラップについてですね?」
「うん、俺とイエスはあの猫の青年を安全な場所へ移す。ひとまずここを離れよう」

 追跡の影が及んでいないことを確認すると、彼らはそこから離れていく。

   ***

 ネイティオの導くままに街を歩くと、白い塗装の剥がれた山小屋のような平屋を見つけた。3人はそこに入る。
 家の中は箱のように大きな部屋が1つあるだけだ。エレキブルが天井のランプに火を灯す。

 食事用の机があり、そのうえに十数通の手紙と外国語で書かれたの学術書が2冊ある。
 部屋の隅に大きな二段ベットがあり、その横には分厚い棚板の本棚が並んでいる。
 本棚には本がぎっしりと並んでいて、背表紙はどれも古く、神話にまつわる本が多く見られた。
 部屋の真ん中に鉄製の薪ストーブがある。ストーブの上には2人の少年と1匹のエネコが写った写真がある。

「ふむ」とウィーナはネイティオの指す手紙を見る。「この手紙は、イエスの手紙だ」
「イエス?」とベカが言う。「誰宛になっているのさ」

「うーん、文字が日焼けして読めないな。シナモン様へ…とある」 
「ということは、ここの家主はシナモン様? この写真の人かな?」アミダが写真を指差した。


 シナモン兄弟がその家へやってきたのは間もなく日も暮れようとしているという頃だった。     (#95 I 09.09.12)



辺りはどんどん暗くなっていく。
「イエスの呪いを解こう」なんて言って走り出してから、もう丸一日経とうとしている。

こんなことは生まれて初めてだ。それなのに、少しも疲れてはいない。むしろもっと体を動かしたい気分だ。
自分が背負った――ほとんどが推測だが――使命感のなせるわざか、それとも単に興奮しているだけか。
どちらにせよ、自分たちは助からなければならない。その思いが体を支えている、長々考えたあげくウィーナはそう結論した。

「……でさ、これからどうすんの」

ベカの声だ。はっとして振り向くと、ほとんど無気力状態で壁に寄りかかっているベカの姿があった。

「手紙があってシナモンさん宛てってのがわかって、それだけじゃん? 催眠術計画は?」

面倒なことはさっさと終わらせよう、という口調だ。間違ってもゲンガーやムウマージを心配してせかしているのではないのだ。
この期に及んで――とウィーナはあきれたが、アミダは気にしていない。

「まあ、そのうちなんとかなるって」>
「え? アミダさんにしちゃ楽観的じゃないですかそれ?」
「いやほら、さっき言ったけど、ネイティオはみんなわかってるんだって。誰かを待ってるんだよ、きっと」
「そうかね?」

と、そのとき、背後で物音がした。真っ先にウィーナが振り向く。つられてベカとアミダもドアを見つめる。
木製のきしむドアをゆっくりと開けて入ってきたのは、オオタチが2匹、だけだった。

後からトレーナーでも入ってくるかと思ったウィーナとベカはいささか拍子抜けした。このたった2匹をネイティオは待っていたというのか。
しかしアミダにはある確信があった。2匹のうち小さいほうは、「なぞのばしょ」でネイティオと一緒に戦っていた。
大きいほうは初めて見たが、兄弟に違いない、と彼女は思った。なぜ確信したかはわからないが、間違いなくそうなのだ。

―― そして、この世界を再び救うに違いない。

「これを待ってたんだ、さすがネイティオ、ただものじゃないね」
アミダは一人感動する。ベカはウィーナに視線を向けた、というか助けを求めた。ウィーナは、「わからない」と軽く首を振った。

もう、太陽は沈んでしまっていた。また、闇が少しずつ広がっていく。     (#96 W 09.12.20.)



「愚かだな」
グラップが呟いた。ゲンガーが意識を失った後、ムウマージが奮闘していたようだが、敗れてしまったらしい。
「私の元にいればもう少し楽な死に方ができたかもな……」
誰に言ったというわけではないがグラップは言った。その瞬間、グラップを中心に念力の塊が膨れあがっていった。
「『サイコブースト』だ、立つ鳥跡を濁さず、というやつだ」

「何をぶつぶつと一人で喋っているんだ?」
何処からともなく声が聞こえる。辺りは真っ暗でよく見えない。
「マリルリ、アクアジェット。」
その声が聞こえたとき、グラップの真正面からマリルリがアクアジェットで突っ込んできた。
不意を突かれて反応できなかったグラップはそれをまともに喰らってしまった。
マリルリのスピードもかなりのものだったため、グラップは4、5メートルほど吹き飛んだ。

グラップが地面に倒された瞬間、マリルリがやってきた方向から足音がする。
足音の正体が見えた。背丈は170cmほどの少年、いや、青年だろうか。
グラップは憤怒の表情でいた、それに比例するかのように辺りの天気も闇が広がっていく。

「このッ……貴様は何者だ、名を名乗れ」
なんとか怒りを堪えたようでいたが、不自然であった。
「名前か?俺の名前はお――」
その瞬間、グラップの拳から湯気のようなもの…某漫画風に言うなら気弾が飛び出した。
『はどうだん』である。青年ははどうだんを避けきれず、右脇腹にそれは命中した。
「不意を突かれた気分はどうだ?」
「この野郎……」     (#97 O 09.12.13)


「僕が兄でしたよ。で、こっちが弟、まぁ弟はもう人間の頃の記憶なんて無いと思いますが」
異常なことをさも当たり前であるかのように淡々と話すオオタチ。弟と言われたオオタチは机の上で体を丸め尻尾を毛繕いしているところだった。
「まぁ僕もあと少しで、この写真が無かったら人間の記憶を失っていたと思いますけど」
写真を一瞥した後、ウィーナのほうに顔を向けた。
「どういうことだ?」
「この写真を見てください。このちっちゃいのが人間の頃の僕です。これを毎日眺めていたおかげでなんとか自分が人間だということは忘れずにいれました。しかし」
ふと写真から弟のほうへ顔を背け、軽くため息を吐くようにこう続けた。
「"人間だった頃"の記憶も、自分の名前も忘れてしまいましたけどね」
空は闇に染まっていく。

「グラップの持つ"獣化"能力は身体と同時に記憶も操作するってかー、強いねグラップちゃん」
兄のシナモンが乳白色の小さなコップに水を注いでくれたので、それを一気に飲み干す、美味しかった。しかしその一方、話は泥沼になっていた。

「そもそもグラップの動機って何さ」
「俺が読んだ本にもそれは書かれてなかった」
「駄目な本だね」
「作者に言え」

コップに3杯目の水が注がれた頃、アミダが独り言のようにふと呟いた。
「グラップは寂しかった?」日は完全に暮れた。
「どういうこと」町は暗闇に包まれる。
「封印されてたんでしょ、しかも周りには人間だけ。仲間が欲しかったんじゃないかな?ポケモンの」周囲の常夜灯が次々に光を無くす。

机上の手紙が机を這うように移動した。髪が屋内で靡いている。そして寒くもないのに体に鳥肌がぶわりと立って、ふと窓を見やる。
窓の外で、周りの暗闇よりもどす黒い炎がたなびき、鮮血よりも真っ赤な二つの目がこちらをじっと睨んでいた。     (#98 B 09.12.23)



 イコスとイエスの2人は、猫の青年をボーマンダの背中に乗せ、町に向かっていた。
 ボーマンダは傷が痛むのか、何度も飛ぶことを止めそうになった。そのたびに彼らの体は大きく揺れた。
 夕方というせいもあってか、町には帰路につく人の姿が目立った。だがあるポイントを越えると、それらの人々も殆ど見かけなくなった。

 ボーマンダが目的地――スナック『おきたァ』――に着いたとき、町はすっかり淡い藍色の夕闇に覆われていた。
 『おきたァ』につくまで、2人は一度として会話をしなかった。お互い別の方向を見て、別のことを考えているようだった。

「お疲れ、ボーマンダ。ゆっくり休んでくれ」疲労しきったボーマンダは赤い閃光に包まれ、ボールの中に飛び込む。

 『おきたァ』には鍵がかかっていた。イエスは猫の青年を抱え、例によって針金を駆使して扉をこじ開けた。中には誰もいなかった。明かりさえついていなかった。
 イエスは明かりをつけ、青年をカウンター席に置いて、肘かけのついた椅子にどっかと座った。頬杖をついて青年を見る。

「"ママ"が留守なんて、珍しいな」とイエスは言った。「しかしそれより、こいつもすっかり猫になったな」

 青年の頭にはピンク色の猫耳が生えていた。手はふさふさの毛にまみれた肉球が可愛らしい。
 半開きになった口からは犬歯が覗く。目はまだ開いていないが、きっと透き通った青色をしているだろう。いや、しっとりとした黒色…?

「おい」イコスは窓を開けた。「遠くで煙が上がっている」
「は?」イエスは怪訝な顔をしながら、窓に近づく。むっとした熱気が、風に乗って入ってきた。

  ***

「スバメ、"吹き飛ばし"!」

 スバメはその小さな翼を激しく動かした。
 窓の外を覆う黒ずんだ赤色の炎は、スバメの発する風に乗って大きく揺れ動いたが、その鮮やかな赤色をした目は絶えずこちらを凝視していた。

「駄目だ」とウィーナは言った。「ドアが開かない」
「いやいやなんなのこいつ怖すぎだろこっちみんな」エレキブルは技の指示を待っているのだが、主人が主人である。

 家の周りは炎に包まれているが、不思議なことに室内は暑くない。空気は乾燥しておらず、むしろしっとりと潤っている。
 この炎は触っても熱くないんじゃないか、とさえ思えた。火の手はまるで意思を持っているかのように、決して室内には侵出して来ようとはしなかった。
 彼らは少なからず汗をかいていたが、それは対峙する不気味な炎とその目による、恐怖からの汗だった。

 机上にあったイエスの手紙は蝶のように空を舞い続けていたが、"吹き飛ばし"による強烈な風に乗ってしまった。
 シナモンが気づいたときにはもう遅かった。手紙は音もなく炎の中に突進していき、一瞬にして燃え尽きた。

 炎の中に浮かぶ目が、ニヤリと笑ったように見えた。     (#99 I 09.12.24)



「ねえちょっと手紙どうすんの手紙ねえあれ無かったらいろいろまずいんじゃないのってか俺らどうすればいいのちょっと」
ベカは一人で、しかもおそろしく早口でわめき散らしている。まるで自分の大切なものでも失ったかのような騒ぎ方だ。
しかし、それに対して、ウィーナたちは徐々に冷静さを取り戻してきている。
確かに手紙は燃えた――いや、「燃えたように見えた」。風に乗って、いかにもそれらしく。

「ダークライは炎を使えない」
ウィーナが誰にともなく呟いた。 「今まで見てきたポケモンの中で、俺たちに敵対して、炎を使えるのはゴウカザルだけだ。でもあいつは今、ゲンガーやムウマージと戦っている」
「でもアレがダークライとは限らないでしょ?」
アミダもすっかり落ち着いた様子だ。
「確かにそうかもしれない。でも、ダークライはグラップだってことを考えると……さっきアミダが言ったよね」
「寂しかったってこと?」
「ああ、そう考えると炎に包まれた目は孤独そのものだろ。仲間が欲しい、それでいて容易には近づかせない……それを気付いてほしいのかも」
自信ありげに言うが、あくまでも推測にすぎない。それでも、そうに違いない、という謎の確信があったのも事実だ。
続けて、ネイティオはそれを見抜いているんだ――と言おうともしたが、それは心に留めておいた。
確信はしているが、これは推測というよりそうあってほしいという願望に近い。
そもそも、常に同じ顔をしているネイティオから汲み取れるものなど何もないのだから。

しばらく、小屋の中は静寂に包まれた。もっとも、ベカだけはまだ何かぶつぶつ言っている。みんなが慌てていないのが気に入らないらしい。
やがて、赤い眼をじっと見つめていたシナモンが、思い立ったように歩きだした。
一番奥にある写真――無人であったはずなのになぜかそれだけがきれいに磨かれている写真を手に取った。
炎が一瞬ゆらめく。
シナモンは穏やかな足取りで窓の目の前までやってきた。そして写真を静かに頭上に掲げる。

「これ……覚えてるよね」

赤い眼が大きく見開いた。炎が激しくゆらぎ、風もないのに小屋はガタガタと揺れ始める。
その隙をつくように、ネイティオも動く。生気のない黒い目が青く光る。「さいみんじゅつ」である。
同時に、姿の見えぬ敵も青い光に包まれる。一瞬闇に浮かんだ輪郭は、間違いなくダークライのそれだった。     (#100 W 10.01.11)



「『幻影』のくせにちょこまかウザいのよ!」
これからグラップが移動する軌道を読んで、ムウマージは数十発目にもなるシャドーボールに鬱憤を乗せて放つ。
今までの攻撃は全て、反復横とびでもしてるかのような身軽な動きにことごとく翻弄されて掠りすらせず、ダメージが全く与えられなかった。
おきたという男性―化粧をしていてオカマのように見える―の持っているマリルリと二対一で勝負を挑んでいるにもかかわらず、だ。
先ほど放ったシャドーボールもまたグラップの向こうの地面を削っただけで、ムウマージは体制を取り直すため一度おきたの近くに戻ると、おきたが話しかけてきた。
「君がさっき言っていた、幻影、というのは一体何のことなの?」
「さっきげんきのかけらをくれたから話してあげたいんだけれど、長くなっちゃうから詳しいことは後で話すわ。でも簡単に言うとアイツは偽者なの、影分身みたいなものね」
ふうん、とおきたがぶっきらぼうに返事を返して、マリルリに指示を出した時、攻撃のためこちらに向かって高くジャンプしてきたグラップの力がいきなり抜けるのが見えた。
攻撃態勢を途中で解いて、弱弱しく地面に降り立ったグラップは、急に頭を抱えて苦しそうに口を開けて喘ぎだす。
佇立したまま数秒ほどその光景に目を奪われていたが、よく考えるとこれはまたとないチャンスであることに気付く。お命頂戴とムウマージがあけすけに放ったシャドーボールは、当たったと思われたが、
「グガァァ!」という喉から搾り出したような咆哮とともに、グラップは素早くシャドーボールを避けて、そのままムウマージ達とは関係無い方向に走り出してしまう。
「ちょっと、待ちなさいよ!」ムウマージが叫んだ。グラップが逃げていった先を見ると、「スナックおきたァ」のもっと先、闇の中に一箇所だけ轟々と黒い炎が立ち上がっていた。

「ヤ……メロ……」
ダークライが怒気を含んだ声で唸るように呟く。しかしシナモンはまだその写真を窓越しにグラップの視線の先に掲げている。
ふとネイティオに目を向けると、何があっても変わらなかった表情から戦慄の色が見え隠れしているのが分かった。額に冷や汗が流れているのが見える。
先ほどくっきりと青く浮き出ていた輪郭も一部黒に戻っていて、ダークライの抵抗する力がひしひしと伝わってきた。
「シナモン! やめないとダークライが進化とかしちゃうって! マジやばいって! っていうか俺が恐い」
ベカの叫びもどこ吹く風と、シナモンは写真を持つ腕を下ろさない。ダークライの炎がより強く、より濃く燃え盛っても、シナモンは無言で写真を掲げるだけだった。
「ヤメ……イヤダ……」
「止めない。思い出すまで、絶対にやめない」
歯軋りのように、家全体がグラグラと震えている。ダークライが何をそこまで嫌がるのかが理解できなかったが、フラッシュバックするとダークライ自身に何かが起こることだけは確信が持てた。
ダークライを包む青い光はまた強さを取り戻してきて、呻き声は叫び声に近くなっている。
「思い出すんだ、早く」シナモンが低い声で言い放った。     (#101 B 10.03.20)



 3人の前に立つようにして、シナモンがダークライに写真をかざしているので、3人はその写真に写されているものを見れずにいた。
 ベカは阿鼻叫喚するダークライに慄然としているし、ウィーナといえばまるでネイティオのように無表情で、泣き叫ぶダークライを興味深げに観察している。
 誰も写真のことなど気にもしていないようだ。やれやれ、とアミダは"ある種の使命感"と、好奇心に突き動かされて、シナモンのかざしている写真を覗き見ようとした。

「これが見たいのですか」シナモンは悪戯をする子供を叱りつけるような声で言った。
「うん」とアミダ。

 シナモンはダークライの様子を伺うようにして、ほんの一瞬だったが、アミダにその写真を見せた。

 アミダはその写真を見て首を傾げた。写真には2人の男――女装をした男、つまりオカマ――が仲睦まじげに肩を寄せあっていて、カメラに向かって親指を立てていた。
 右側の男はそれと見て分かる、女物のカツラをしていて、顔には下品な笑顔を浮かべている。服は純白のドレスで着飾っていて、それは不似合いを通り越して、もはや不愉快だった。(アミダはほんの一瞬だったが、注意深く観察したのだ)
 対して左の男は髪を長く伸ばしてはいなくて、むしろその短髪を逆立てていた。顔にも化粧の跡が見当たらない。
 服もどちらかといえば男性的なものだったが、やはりその男の持つ雰囲気がそう思わせるのだろう、そのなよなよとした体つき、細い手足、また男の表情……男はカメラに向かって投げキッスまでもしていたのだ……その男もやはり間違いなくオカマであった。

「えっと、これがいったいどういう?」アミダは混乱を隠し切れなかった。
「いいですか、よく聞いてください。実はグラップは、オカマだったのですよ」
「……な、なんだと」
「この左側の男が、そうです。いわゆるボーイ系オカマというやつですね。
 この頃は町長――つまりグラップ――の名をライト、といいました。右側のオカマは沖田という人物で、現在とあるスナックを経営しています」

 シナモンは一息おいて、続ける。

「当時の名で話しますが、ライトは女装をするのが趣味でありました。また彼の部下であった沖田も、そういう気のある人でした。
 2人は夜な夜な落ち合っては、こうして女装をすることを楽しみました。 で、これは2人のあいだの秘密だったのですが、
 どういうわけかこの事実が世間に露見してしまい――恐らく沖田さんの仕業だと思います。彼はライトの地位を貶めようとしたのです――ライトはグラップと名を変えました」

 なるほど、とアミダは合点してダークライを見る。ダークライが大声でわめき散らしているのも、この恥ずべき過去と向き合っているからなのだ。
 そしてウィーナが言っていた、「ダークライはグラップだってことを考えると」と。
 つまりシナモンはダークライにグラップの過去を思い出させることによって、グラップの人格そのものをダークライから取り出そうとしている。
「ちょっと待ってよ。確かにそれは消してしまいたい過去であるのは分かるけどさ、これが呪いの原因だと考えることはできない?」
「つまり、この過去を消すために住民たちをポケモンに変えたり、ポケモンたちを人間に変えたりしたというわけですか?
 そもそもグラップ自体にそういう力はないはずですが……やはりそれは違うんじゃないかな、と思います。物語的に」

 シナモンが言って良いのか判断のつけかねる台詞を言ったときだった。家の周りの炎が思い切り燃え上がり、1匹の獣が――それはもはや獣にしか見えなかった――家の壁を突き破り、部屋に飛びこんできた。
 汗水を垂らし、息せき切っていて、頭の炎から熱気を放つそいつは"幻影"のグラップであった。     (#102 I 10.03.21)



飛び込んできた「獣」は、ゴウカザル……いや、確かに姿はゴウカザルだが、こんな邪悪な顔をしているのを見ると、
そいつはもはや「ゴウカザル型のもっとおぞましい何か」としか感じられなかった。
全員がそのこの世ならぬ姿に釘付けになったが、シナモンだけは汗を噴出しながら今なおダークライに写真を見せ続けている。

「ヤメロ……写真ヲ……今スグ……下ロセ…………!」

ゴウカザルは、まるで地獄の底から響くような声を発し、震えながらシナモンを指差す。
それでもシナモンは動じない。写真を高く掲げた姿勢を保ったままである。

「ヤメロ……ヤメロ……燃ヤシ尽クス……!」

そう言うとゴウカザルはのけぞりながら大きく息を吸い込んだ。
「火炎放射」が来るのは間違いない。そうなると写真どころか小屋全部が灰になるのも、また間違いないだろう。

「エレキブルッ! あいつを止めろ、『10万ボルト』だ!」

危険を察知したウィーナがすかさず叫んだ。 エレキブルは巨大な体に似合わぬ敏捷な動きでゴウカザルの前に躍り出、なぎ払うように腕から電撃を放った。
ゴウカザルは避けきれずに後ろに倒れ、即座に立ち上がると恐ろしい速さでエレキブルに飛びかかった。
しかしエレキブルは臆すことなく、わずかな時間で間合いを見切り、「かみなりパンチ」を繰り出した。
今度はクリーンヒットし、ゴウカザルは呻き声を上げ、さっきよりも遠くに吹っ飛んでいった。
怖がり、わめくばかりでまるで役に立たないベカとは180度違っている。強い自信に裏打ちされた正確な状況判断ができる。エレキブルは賢かった。

「シナモン、ダークライはまだ崩れない?」攻撃が止んだ隙に、ウィーナはシナモンに尋ねた。

「あともう少しなんですが! 何か、何か小さな刺激があればダークライは崩壊するはずです!」

写真を持つ手が震えている。実はシナモンはずっと、ダークライの目に見えない抵抗を受け続けていた。このままではシナモンが持たない。

「ねえベカ!あのポフィンまだくっついてる!?」

土壇場で声を上げたのはアミダだ。震えっぱなしだったベカもはっと正気に返り、靴を脱ぐ。ピンクのものはまだしっかりと裏の溝にくっついていた。

「それをダークライに投げつけて!」

答えが返ってくる前にアミダが続けて叫ぶ。ベカは急いでポフィンをちぎり取り、ダークライに投げつけた。
それが当たったかどうかは分からない。しかしダークライはポフィンを認識するや否や金切り声を上げ、そして小屋全部が青白い光に包まれた。
光が薄れると、小屋の周りには燃え盛る火はなく、外に手紙を握り締めたやつれた男が一人、気を失って倒れていた。     (#103 W 10.03.29)



「写真が……なくなっている……」
シナモンの手にあったはずの写真は忽然と姿を消した。

「ダークライやグラップはどこへ……?」
アミダが聞いたが、答えは分からない。
その答えを探すために、ベカが「ちょっと外に出てみよう」と言って小屋の外へ出ると、一人の男が倒れていた。

「ちょ、ちょっとみんなきて! 誰か倒れているよ!」
咄嗟に全員が外へと飛び出る。

その男は顔は整っていて、結構な長身だったがやつれているようで、体は細々しかった。
「とりあえず小屋のベッドへ運ぼうか……」
シナモンがそう言うと全員で男を持ち上げ、ベッドに連れていった。身長の割りに50kgもないんじゃないか、と思わせるくらいの軽さであった。

「この手紙は……?」
アミダが一通の手紙に気づく。
「ちょっと読んでみるよ」
せっかちなベカがさっさと手紙を開いて中身を出す。
手紙の封筒はボロボロであったが、中身の一枚の紙はとても綺麗に保管されていた。
「えーと……なになに?」

『許さない。
 お前のスナックは絶対潰す。』

手紙には綺麗な字でそう書かれていた。
「うわあ、なんだこれ……怖いよこういうの」 ベカは明らかに棒読みで言ったが誰も気にはしなかった。
「スナック……? 誰宛の手紙なんだろうこれは……?」
アミダが疑問に思いながらやつれた男を見つめる。

そのとき、強引にドアを開ける音が聞こえた。その音皆驚き、特にベカは「ぎゃあ」といって飛び上がった。
入口にいる者はそう、オカマだった。     (#104 O 10.03.30)



「あなた達!今ここにゴウカザルが来なかった?」
顔全体に汗を垂らし、ぜぇぜぇと荒い呼吸をしながらその「オカマ」は部屋に乗り込んできて、部屋の中に居た全員が頭上に疑問符を浮かべていた。
「"元"ゴウカザルだかダークライだかならそこに……」
アミダがおそるおそる指を地面に倒れている男性のほうに向ける。
するとオカマは、即座に男を一瞥した後、口をOの字に開けて「ああっ」という声を漏らしながら、素早い動きで男のもとに駆け寄った。
「ライト! ライトなのね! 良かった……戻ってくれて……」
汗でめちゃくちゃになったオカマのメイクを、目元から流れ落ちる涙が拭い去ってゆく。一気にシリアスになった空気にオカマ以外誰もついていくことが出来ないでいた。
「あ、あのう……」
喋りかけてよいものなのかどうか分からないウィーナが、口を押さえて嗚咽を漏らしているオカマに対して呟いた。

「先ほどはお見苦しいところを失礼しました。私は沖田と言います。まぁ見ての通り……とある性的嗜好を持っていますが、そこは大目に見てやってください」
よく見るとスタイルは女性雑誌の表紙を飾っている女優のようにしなやかで、顔を隠せば女に見間違えてしまうほど綺麗だった。
「俺はアリだと思う」とのベカの言葉に沖田は失笑して、話を続けた。
「私とライトは二人ともオカマでした。いや、私のほうは今もそのままですね。」
沖田は薄い苦笑いを浮かべたまま話しているが、目は笑っていなかった。当時の出来事を回想しているからだろうか。
「私達はお互い惹かれあっていました。ライトの家で逢引きしたこともあります。でも……」
沖田は一旦話を区切り、目を閉じ鼻根に指を当てながら再び話し始めた。
「あの方は本気では無かったみたいで、あるとき私に言ったんです。『もう女装するのはやめたい』って。
 当時の私にはとても辛辣な言葉でした。だから私は復讐してしまったんです、彼は悪くなかったのに……」
正直こんな大人の複雑な恋愛問題を語られても、少年少女達にはどうすればいいかわからず、3人はフォローすらすることが出来ないでいた。
ベカがウィーナに「どうにかしてよ」という視線を送るが、ウィーナはあえて顔を背ける。誰にも聞こえないくらい小さな声でベカが「薄情な奴め……」と呟いた。
「でも、どうして人間だったライトさんがゴウカザルだかダークライになっちゃったの?」
「それはきっと……」沖田は話し始めようとしたところで視線をライトのほうに向けると、そこにはうっすらと目を開けて、腕をぴくりと動かすライトの姿があった。     (#105 B 10.03.29)



 町長室は役所の最上階、3階にある。部屋には窓が西北に2つと良い眺望である。
 ライトは西の窓から机の上に夕暮れの陽が射しかかったころに、仕事を切り上げて家に帰る。
 それはいつもの日課で、変わることがなかった。だがライトが助役に帰宅の用意と書類の整理を命じたとき、その日はいつもと何かが違うことに気づいた。
 それは部屋の灯りを消すと、びくっと驚くほどに、自分の影が部屋の床から壁にかけて、大きく描き出されることだった。
 影は黒々としていて、ライトが動くと足音がしたが、それはこの影の足音なんじゃないかとさえ思えるぐらいだった。影は不気味なまでにライトの動きに体を合わせた。
「おい、今すぐにカーテンを閉めろ」ライトが助役にそう命じようとしたとき、驚くことに、彼はもうそこにはいなかった。
 ライトの鞄も書類の山も、無造作に彼の机の上に放り出されていた。部屋のドアは開いていない。彼がここを出て行った足音も、ライトは聞いていない。
 はっとして、ライトはその助役の顔を思い出す。彼は"沖田"だった。
 その顔、その身のこなし、そのしぐさ……何で気づかなかったのだろう、ライトは自分を責めた。だが今となってはもう遅い、沖田は俺を貶めようとしているのだ。
 馬鹿者めが、とライトが独りで怒号をあげてカーテンに向かったときだった。影に背を向けたのが彼の間違いだったのだ。
 影はさっき水を抜いたばかりのプールのように、ぬめりとしたその"体"を床からふわりと浮き立たせて、ライトを包んだ――。

   ***

 目を醒ますと、ライトの前には目にいっぱいの涙をためた美人がいた――ぼんやりとした視界が輪郭を戻し、その美人の顔が露にされたとき、ライトは愕然とした。

「きさま、沖田だなッ! お前のせいで俺は影に!」
「あらん、寝ぼけてらっしゃる」沖田は握ると折れてしまいそうな、そのか細い腕で暴れるライトを制した。
 それは沖田の腕力があまりにも強いように見えたし、ライトの力があまりにも弱いようにも見えた。
「寝ぼけてなどいない! お前が持ち場を離れるからいかんのだ、私は今しがた町長室で影に襲われたぞ!」

 一同ははっとして顔を見合わせた。今しがたというのは実際にはおかしいが、それは妄言のようには聞こえなかった。

「記憶に食い違いがあるようね、あなた」
 あなたと呼ぶな、ライトが怒鳴る。
「事の次第はそのとおりよ、あなたは町長室で影に襲われた。
 でもね、よく聞きなさいね、"そこにいたのは私ではないわよ"。あなた寝ぼけてるのよ」
「……じゃああそこにいた、あいつは誰なんだ」
「この子よ」

 沖田は肩に提げたトートバッグから、まだ真新しいピカピカと光るモンスターボールを取り出した。
 赤く透き通るボールの中を覗きこむと、そこにはグラップに憑いていた、あのムウマージがすやすやと眠っているのだった。     (#106 I 10.03.30)



――ああ、俺ははじき者だった。

町長という表の顔を持ちながら、夜な夜な親しくなったスナックのママと女装して騒ぐ。
そんな「趣味」も、決して悪くはなかった。しかし俺にとってはただの「趣味」だったのだが、相手は――俺の部下でもあった沖田は――どうやら本気になってしまったらしい。
あいつがあの写真を町中にばら撒いたのは、俺が「やめたい」と言った次の朝だったはずだ。
その日から俺は名前を変えた。家も町外れの粗末な小屋に移し、仕事を終えたら逃げるように帰る、それが日課になった。
でも、あの時は、まだ希望があった。幼馴染で聡明なシナモン。彼との文通だけが俺の唯一の光だった。

だがそれもある時突然潰えた。休みの日にシナモンの家に行った。すると彼は留守だった。
珍しいことでもなかったので、いつも通りそのままリビングで好きな紅茶を飲みながら待つことにした。――あの手紙を見つけたのはその時だ。
差出人は、俺の旧友でもあり、若き小説家、イエス。封はすでに切られていた。好奇心に駆られて手紙を開くと、中身は衝撃的だった。

  「……君ももう知ってるだろう。あいつは変人だったのだ。いくら幼馴染だからって、これ以上付き合うのはやめたほうがいい。
   悪いことは言わない、これは友としての忠告なんだ。」

それを見た瞬間、言い表せない感情に襲われて、シナモンの家を飛び出した。訳の分からない涙があふれた。文通はそれ以来一度もしていない。
もはや完全に孤立した俺が、「影」を見たのは、あれから数日後だったか。


それからの記憶は無い。いや、正確に言うと、「俺のものじゃない記憶が乗っかっている」。


完全に人間不信になった俺が影に取りつかれてポケモンに変化したのも、まあ当たり前の流れだと言えなくもないだろう。
大嫌いな人間をポケモンに変え、さらには町を幻影の中に隠し、俺は人間から離れようとした。

時間が経つとポケモンとしての俺も次第に安定してきた。ポケモンの世界でもはじき者にされたゴーストたちを仲間にしだしたのもその頃だ。
これも今思えば、それは赤の他人ではなく、俺の心の影につけこむ「影」の手先だったらしい。

やがて、俺も元の姿に戻りたくなったのだろう、「人間を乗っ取って幻影の外で暮らす」という計画を考えた。もちろん俺を騙した沖田とシナモンと、そしてイエスに復讐してからだ。
そして折りよくイエスとイコスが現れ、計画を実行に移した。服従させ、台本を書かせ、最後にはコイキングにして放り出し、復讐の一つを達成するために。
その五年後に3人の人間が現れた。名前は、ウィーナに、ベカに、アミダ。時間はかかったがシナリオ通りに事は進んでいた。
ただ、問題点はあった。イエスは手中に収めたが、シナモンと沖田が見つからない。乗っ取り計画の一方で、俺は焦った。
その焦りに乗ずるように、俺の中で「影」の力が強くなってきた。ときおり「影」が語りかけてくることもあった。

  『俺ハオ前ヲ使ウ。百二十年前ノ復讐ヲ果タスタメニ。人間ノ悪夢ヲ支配スルタメニ。』

何のことかさっぱり分からなかったが、俺は次第に「影」に操られるようになった。
そう、たった一度だけ、「影」に名を尋ねたことがあった。あいつは、「ダークライ」と答えた……。

  ***

「記憶は戻ってきたかしら」

今、目の前に沖田がいる。何年間も探し続けて、ついに見つからなかった奴が。そしてその奥にいる、凛とした目をして立っているオオタチは、間違いなくシナモンだ。
さらに、いつの間にかイエスとイコスもそこにいた。イエスが抱えている真っ白な猫は、昔ライトが飼っていたものだ。人間に変化して以来、ずっと謎の場所にいたのだ。

思い出した、思い出した、みんな思い出した。あの時襲い掛かってきた影は、ダークライが遣わしたこのムウマージだったのだ。
しかし、それなら沖田はどこにいたのか? あの時だけでなく、それから今までずっと、どこにいたというのか?
――ライトの疑問を見透かしたように、シナモンが静かに、歩み寄ってきた。     (#107 W 10.03.30)



「沖田、教えてあげなよ。あれからの自分のことを。ライトが知りたがっている」
勘のいいシナモンがライトの代わりに沖田に言った。
「そうね。ここで話しておきましょう」
そういうと沖田は軽く深呼吸をし、話す体制に入った――


『俺はなんて馬鹿なことをしてしまったんだ。
 あいつは何も悪くない……』
俺はあの事件のあと罪悪感に襲われた。それは酷く、一生ものの傷になるとすぐ分かった。
あの後すぐにスナックをやめ、適当な場所へ引っ越した。店自体はたたんじゃいないがもうあんな店は見たくなかった。
そして、ライトに会わせる顔がないと思い、常に女装している状態、いや女になりきっていた。
もう自分を殺.したくてしかたがなかった。女になりきって別の人間になろうとした。
でも、あいつは消えなかった。それどころか毎晩夢に出てくるようになった。 

それからしばらくして、またスナックへ戻った。
あいつに謝りたくて。もしかしたらあいつが来てくれるんじゃないか、というかすかな希望を抱いて。

しかしあいつは来なかった。

あるとき二人の男が来た。イコスとイエス、という名だった。
彼等と話すのは楽しく、彼等も楽しそうな様子だった。
それから毎日彼等はきた。俺もそれが嬉しくて、毎日が楽しく感じられた。

彼等が来てからだろうか、町の中にはポケモンが増えてきて、町の様子がおかしかった。
もしかすると、というだけであったが、あいつが俺に復讐しようとしているのでは、と考えていた。
その五年後、いや今。状況は更に悪くなっていた。

俺はスナックを飛び出した――


「そうだったのか……」
真実を知ったライトは驚きの表情で沖田を見つめる。
「こんなところで団欒している場合じゃない! ゴウカザル……はどうなったんだ!?」
ウィーナが声を荒げる。それに応じて皆も周囲を探る。

奴は……どこにいる?     (#108 O 10.03.31)



突如ライトが「ぐえぇ」と苦しそうなわめき声を出したので振り向くと、そこには苦しそうに口を開けているライトと、がっちりと両手でライトの首を絞めている沖田の姿があった。
そんな、沖田はライトを許した筈では――思いにもよらぬ凶行を目の当たりにしたウィーナは慌てて駆け出し、恐い顔をしている沖田を制止しようとする。が、
「そうよあんた! あのゴウカザルあんたのポケモンでしょう! 私は襲われたんだからね、責任とってよこのバカ!」
別に深い動機では無かったようで安心するウィーナ、しかしこのままでは本当にライトが死んでしまいそうである。声も出せずに金魚のように口をパクパクさせているライトを助けることにした。

沖田とムウマージは、ゴウカザルに襲撃された件について嫌味と皮肉と、事件には関係無い悪口までふんだんに盛り込みながら、ライトに語った。
「私のシャドーボールが外れるぐらいにまで糞猿の素早さ上げるってどういう育て方してんのよこの廃人、死ね屑」
「ごめんなさい、でも僕あまり悪く無いんです」話し始めてから十分ぐらい経ったときにライトは土下座させられてしまい、その体勢で数々の罵倒を受けていた。
「金玉蹴り上げるわよ」足を組んだ沖田がハイヒールの先をギラリと光らせる。
「それ本当に死ぬからやめて下さい、僕まだ男でいたいんです」
こう見るとライトという人物は根は気の弱い人物のようで、沖田と別れた理由もなんとなく分かった気がした。
それから五分程度悪口のみが続いた後、話し合い(又の名を一方的な毒突き)が終わった。
「ゴウカザルは鼻が利く奴なので、この好きだったポフィンを置いておけばここへやってくるかと思います」
そう言ってシナモンの家の窓にポフィンを立てかける、「食物に釣られるなんて猿どころか豚ね」とムウマージが吐き捨てるのを苦笑いしながらアミダが止める。
「しつもーん、なんでゴウカザルさんが町長をしていたんですかー?」ベカが尋ねた。
「それは……たぶん、ダークライが操っていたんじゃないかな。ダークライの野望を遂行するには私だけでは役不足、だからゴウカザルを操って人数を補い、事を進捗させたんではないかと思う」
なるほど、と頷いてシナモンが用意してくれた麦茶をすする。事は一件落着したようで、それからは一転して和やかなムードに変わり、今が夜中だということも忘れ全員で談笑しながら時間を過ごした。
ライトの恥ずかしい過去を暴露するときの沖田の顔を見て、ウィーナは思わず母の言っていた「女は怒らせると恐いのよ」という言葉を思い出す。

「夜も更けてきたことだし、そろそろおいとましようと思うのですが」ウィーナが切り出した。
「ああそうそう、村のゲートから出ようとしたら眠り粉が降ってて眠っちゃったんだけどさ、今はもう出れるわけ?」
何故か聞こえてきた「うわぁ、あんたそんなこともしてたんだ」「変態」という声に肩をすぼめながらも、ライトは「ダークライが消えたということは、もう大丈夫な筈だよ」と答えた。
ライトがゲートまで送っていってくれるということで、3人はシナモンにお礼を言ってから、家を後にした。     (#109 B 10.04.02)



 翌日の正午。冬の冷気がまだ残る澄みきった空に、空砲の音が鳴り響いた。パレードの始まりの合図だ。
 ひっそりとして色褪せていたグラップタウンは、呪いを解かれた人やポケモンたちで賑わっていた。
 パレードの先頭に立つ町長、ライトがあらわれるたびに、住民たちは彼の過去のことなど忘れて、惜しみない拍手をやった。

 パレードの中にあの3人の姿はない。
 実は昨夜、ライトはそのことで3人を家の外へ呼び出したのだが、ウィーナはそんなものに出る暇はない、とぶっきらぼうに言った。
 俺たちは早くこの町を出て行きたいのだ、と。ベカといえば照れくさそうに断るし、アミダはそれについて何の感想も持てないように、ウィーナの言うことに従っていた。

「君たちがそう言うなら仕方ない。だが、そうなると明日は主役がいないから、味気のないものになるな」
「良いから、俺たちを早くExitの扉まで連れて行ってくれないか? 俺たちはくたびれているんだ」

   ***

 すまないが、私は明日の段取りをしなければならない……ライトはExitの扉へ行く途中、苦々しげにそう言った。せめて3人がこの町を出て行くのを見送りたいのだが、そういうわけにはいかないという。
 ライトは名残惜しげに、彼らにさよならと手を振ると、そのまま振り返ることなく今来た道を走り去っていった。夜の山道にライトの足音が大きく響いた。それは森の中で反響し、天まで届くかというほどだった。

「あ、ほら見て、あそこにカゲボウズがいるよ。探せばダークライも見えるかもね」

 アミダは冗談を交えながら、茂みの中を指さしてこう言った。ウィーナたちにも、カゲボウズがゆらゆらとしているのがおぼろげに見えたので、軽く頷いてみせる。
 この町に来てから3人は霊感が強くなっていた。とくにアミダのそれは敏感で、研ぎ澄まされていた。

 恐らく彼女は2人とは違って、なぞのばしょに足を踏み入れたからだろう。
 霊感というのは経験則からしか身につかない、ウィーナは昔読んだ本の一節を思い出す。3人はめいめいに、山道を行くのを楽しんだ。

 やがて一行は、周りを威圧するかのように立つExitの扉まで辿り着いた。
 鍵は既に開いていた。扉の前には削られ、ぐねぐねに曲がりくねった針金が何十本と落ちている。
 イコスとイエスが、3人より先にこの町を出て行ったのだ。使用した針金の本数を見るに、この扉を開けるのによほど苦戦したらしい。

「ところでベカ、質問するぞ」とウィーナ。
「何?」
「このExitの扉は、いったいどういうところが特殊なんだ?」
 ベカはそんなことも知らないのか、と言うふうに「Exitの扉は、扉を開ける者の欲求によって繋がる世界が変わるんだよ?」

 当たりだ。ウィーナはそう言ってアミダの顔を見る。アミダはこくりと頷いた。続いてベカを見るが、ベカは状況を把握しきれていないらしい。

「さあ、俺が明快な答えを出してやったのだから、早く帰ろうじゃないかウィーナ君」
「あのなベカ、今から俺がすることをよく見ておけよ」

 ウィーナはふん、と力を振り絞ってその扉を開けた――扉の先には、ベカが見たこともない光景が広がっていた。
 そこは緑豊かな丘が、どこまでも続く丘陵だった。輝く日光。雲の合間から吹く風は暖かく、春のきざしがあった。
 谷あり、川あり、はるか彼方には青い山がそびえている。突然のことにベカは1枚の、写実的な絵画を見せられているような気分になった。

「ほら、行くよ」誰よりも早く、アミダは駆け足でその世界へ出て行った。
「ちょっと待って、ここ俺の知ってる町と違う」
「そういうことだベカ。ちなみに俺は"どこでもいいから旅のできる場所へ"という思いで扉を開けた」

 ウィーナはゆっくりとした足取りでアミダの後に続く。アミダはというと、丘の頂上にポニータがいることを発見し、スバメをモンスターボールから解放してその斜面を駆け上っていった。
 スバメはとても愉快な心地で、空を飛び回り、ポニータのもとへ向かっていった。

 ほら、早くしないと扉を閉めてしまうぞ。ウィーナはベカを急かした。

「分かった。でも最後にこれだけは言わせてほしい、俺たちの戦いはまだまだこれからだ!」

 長かった一夜もようやく終焉を向かえ、グラップタウンは青白い黎明を迎えようとしていた。     (#110 I 10.04.02)



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