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 「ねえ、さっきの子めっちゃかわいかったよね。ほらあのピンク髪の子」
 スピナが通り過ぎた女子グループを振り返り、指でさした。彼女達は早朝だというのに、元気に喋りあい笑いあっていた。
 「確かにかわいいかもしれないけど、こんな時間に外ほっつき歩いてる女子なんて、性格やばいんじゃないの」
 「こんな時間に外ほっつき歩いてるミユには言われたくないと思うぞ」ヒロの虚しいまでの正論。

 3人はコガネシティの中央通りを歩いていた。
 一分に二回のペースで空を見上げ追っ手を確認している彼らだったが、街に入ってからは追跡されている様子が全く無くなった。
 先ほどまで強靭な竜に空から追われていたのが嘘みたいだった。
 朝も昼も夜も、例え真夜中でも関係なく、おびただしいほどの人で溢れかえっているこの街は、追われている身にとっては最高の身を隠す場所に思えた。
 木を隠すなら森の中、であるが、今の自分達は高層ビルの樹海の中にある人ごみという名の密林に、
 余るほど生えている木の中でもことさら幼い3本の木なのだ。見つけて貰うことすら難しい話である。
 そんななので、ミユの「見上げても首が痛くなるだけだよ」の声によって、三人はそのうち空を見るのを止めた。
 ひたすらコガネシティを南下して、ヒロの親戚の家があるという場所へ向かって歩く。
 早朝の今は、完璧に酔っ払っている人やこんな早朝から会社に向かうスーツの人、上下にジャージを着て早朝ランニングをしている人が見える。
 ミナモシティの早朝なんて、漁師ぐらいしか起きていないのに、とミユは都会の賑やかさに少し感動していた。
 
 歩いているうちに三人は奇妙なものを目にした。まだ太陽が地平線から半分しか出ていないような時間なのに、
 コガネシティ中央をひたすら自転車で暴走、爆走している男女の集団である。
 集団といっても暴走族みたいに爆音をかき鳴らしているわけではなく、ただ無言で自転車を漕いでいるだけの一個人たちであるが、
 あまりに数が多いので集団に見えてしまう。奇怪なのが、皆が皆自転車の籠に何個ものポケモンの卵を入れていることだろう。
 大多数の人が卵の上に、アイデンティティであるかのようにマグカルゴを乗せている。
 中にはここジョウト地方では見ないウルガモスというポケモンに卵を抱かせている自転車乗りもいた。
 彼らはお互いにスピードを競い合っているかのように中央通りを往復していて、轢かれそうになることもしばしばあり、危険な存在だった。
 俊敏なそれを注意して見ると、誰もが太腿を筋肉でパンパンに膨れさせていた。
 今までどれだけの距離を自転車で走りこんできたのかが、年輪を見るかのように手に取るように分かった。
 あれはカルト教団の一種ですか? ヒロが通行人の初老のお爺さんに尋ねた。
 彼は硬い表情になって「ああ、あれは……コガネの南の育て屋さんが原因でね……まあ君達も大人になればそのうち分かるさ」とお茶を濁した。
 お爺さんはまた、「彼らに話しかけるとポケモン勝負を挑まれるから注意しなよ、強いよ」とも警告してくれた。
 依然彼らが何者なのか分からなかったが、とりあえずお爺さんに礼を言ってまた早朝のコガネを歩き始めた。
 朝日は出ていて空は明るくなってきているのだが、肝心の日光は摩天楼の数々に阻まれて三人の元に届くことはない。
 まだ薄暗いコガネシティを数十分歩き、街の中心から離れて、ミナモデパートに匹敵する大きさのコガネデパートを過ぎると、
 聳え立つビルの高さは歩くたびに低くなっていって、それに比例してすれ違う人の数もまた少なくなっていくのであった。
 そのうち、三人の周りから人影が消え去った。つい数十分前歩いていたコガネシティとは景色が大違いで、全く違う場所に来てしまった錯覚を覚える。
 コガネシティ郊外のここは、ボロから新築まで、アパートやマンションが立ち並ぶ住宅地だった。
 碁盤目状になっているコンクリートの道路を右へ左へと曲がっていくうちに、
 親戚の家の住所が書かれたメモを見ているヒロの足が、とあるマンションの前で止まった。
 そのマンションは五階建てで、ワイドスクリーンみたいにでっぷりした横長の長方形だった。
 先ほど見てきた数多のビル群に比べれば小人の足ぐらいの小ささだったが、この住宅地の辺りでは確かな存在感を持っている建物だった。
 「ここみたいだ」ヒロはメモを見て住所が間違っていないか再確認して、頷いた。
 ベランダが南側にある造りなので、マンションの入り口は北側にある。
 まだ日が昇っていないこの時間、元々こげ茶色をしているこのマンションの北側の壁は朝を忘れたみたいに闇の色に染まったままだった。
   「ひっくしゅい!」
 スピナのした大きなくしゃみの音は、辺りに響き渡ったあと、夜が明けたばかりの冷たい空気に溶けて消えた。
 早朝の気温が一番低いというが、もう春半ばだということを鑑みると、随分と寒い。凍えるほどではないが、カイロやこたつが恋しくなってしまう気温。
 「ぶぅえっくしょい!」
 スピナがもう一発、けたたましいくしゃみをした。
 「大丈夫? スピナ」たいして心配しているわけでもなく、ただうるさいなと思っただけのミユがスピナに声をかけた。
 「あい、だいじょぶ」ズズズと鼻水を啜る音がした。本当に大丈夫なのだろうか。
 「ここまできたのに風邪引いてどうすんだ、ほら行くぞ」
 そう言ってスピナを急かしつつ、ヒロはマンションの入り口に入っていこうとして足を動かしたときだった。
 「待て、ヒロ」
 スピナの返事にしては、やけに低く、乱暴な声だった。なんだ、と不気味に思い後ろを振り向くと、マンション前の道路にはスピナとミユと、もう一人。
 黒い帽子に黒いコートに黒いズボン、全身黒ずくめの男がそこに立っていた。明るくなってきている朝には見事にアンマッチな姿だ。
 「うっわ黒っ、誰これ」
 ヒロから一足遅れて後ろを振り向いたミユが思いのままの事を言い放った。
 スピナもミユも後ろを見て驚いているところを見ると、二人とも後ろに男が立っている気配を感じなかったようだ。何者なのか、と男に呼ばれたヒロは眉をひそめる。
 「自己紹介をする、俺はシュウ、スラアレクの幹部だ。牧場では俺の部下達が世話になったな」
 その言葉を聞いて三人はモーモー牧場での戦いを思い出した。『おい!ウィーナの息子、ヒロだな!』の声と共に現れた鎧野郎である。
 彼らの上司ということは、このシュウという男もヒロを、ヒロの持っていた薬を狙っていると思って間違いは無いだろう。
 ヒロは、タイミングが悪いな、と舌打ちした。よりによってミズゴロウを手にする前に現れるのだ。
 「俺は争いがそんなに好きではない。だから、出来るだけ穏便に事を済ませたいと思っている。ヒロ君、言わなくてもわかるだろう」
 「さあ、何のことだか分からないね。欲しいのはこれか?」
 ヒロはズボンにポケットに手を入れて、最初に指に触れた10円玉を掴んで、野球ボールを投げるフォームで男に向かって投げた。
 シュウは勢いよく飛んできた硬貨を避けようともしなかった。
 コートに当たった10円玉は、勢いを失って道路に落ちて高い音を一瞬響かせた。シュウに近いスピナが、小さな舌打ちを聞いた。
 「なら分かるように言う。お前の持っている赤いギャラドスを渡せ。まだ体内に薬が残っているはずだからな」
 『ヒロ君』が『お前』に変わった。ここでこいつを怒らせるのは得策ではない、とミユは言おうとしたのだが、
 ふと見たシュウの顔が怖くて竦んでしまい言葉が出なかった。
 「やだね」
 ヒロがぶっきらぼうに答える。スピナもこれでは怒りを助長させているだけだ、と思うのだが、思うだけだった。
 争い嫌いな割りには争い好きそうな顔してるなあ、なんてことも同時に考えていた。
 仕方ない。シュウは溜息交じりに小さくそう言った。シュウのベルトに装着されているハイパーボールに、ごつごつとした硬い手が伸びる。     (#99 B 11.03.09)



 シュウの手の中で、ボールは死にかけた魚のように跳ね回っている。
 その隙間からドロリとした固まりが流れ出て、舗装された地面にボトボトとこぼれ落ちる。
 それは甘い臭気を放つ液体だった。水に敏感なマリルリは、それを見ただけで顔を背けてしまった。

「後悔するなよ」

 表面を油で光らせたガスマスクを装着し、シュウはスイッチを押した。
 急激に膨張したボールは、嘔吐するように"そいつ"を赤色の閃光とともに吐き出した。紫色の煙があがり、3人は身構える。
 腐肉を発酵させたような匂いを放つ煙をかき分けて、"ダストダス"が姿を現した。
 黒ずんでただれた身体には、ルビーやサファイアのような宝石がちりばめられていた。歯車のような前歯は何かをガリガリと噛んでいる。
 それは油で虹色に輝く注射器だった。目は酔っているのかギラギラと血走っていた。
 突然、ヒロたちの頭は重く痺れた。目の前に甘い匂いの霧が行き過ぎたのを最後に、スピナは気を失いそうになった。
 ミユは口と目を被った。煙は呼吸のたびに否応なく胸に入ってきて、生き物のように肺をかきむしる。

「暴走剤はもう飲ませてある。さて、どうする?」

 ダストダスの喘ぎ声がここまで聞こえてくる。吐息のたびに毒が吐き出されているようだ。
 ダストダスはゴボゴボと唾液の溢れ出る口を開けて、ヒロたちを睨みつけている。足もとは紫色の蒸気をあげてドロドロに溶けていった。
 この毒に耐えうるポケモンは、かろうじてミユのマリルリと――ヒロのギャラドスのみ。
「ヒロ……」口数も少なく、ミユが助けを乞うようにヒロに視線を送る。マリルリでは無理だ、と言いたいのだろう。
「大丈夫だ」とヒロは笑顔でミユの肩を叩いてやった。だが、その手はギャラドスの眠るボールに触れてもいない。

 大丈夫だ。ここはコガネのマンション前。あのマンションには昔から馴染みの奴も住んでいて――

「んな、アホな……」
 ヒロの視線の先には、肩に鞄を提げた赤髪の女性が立っている。

   ***

「はーい! うちがアカネちゃーん! ……しっかし、これはひどいなー」
 鞄のモンスターボールを探りながら、アカネは目の前に渦巻く毒ガスを見やる。地獄絵図である。

「アカネさん、今日も朝帰りですか?」
「……アホ。しかも『今日も』って何やねん」
 アカネはすかさずヒロの頭を叩く。スピナはそのとき、アカネの胸が揺れるのを見逃さなかった。見逃さなかった。

 シュウは勝ち目がないと見たのか、アカネと目を合わせた途端、ダストダスを置いて逃げ帰ってしまった。
 残ったのは産業廃棄物を具現化したような塊だけである。暴走剤を打たれたということだったがダストダスは愚鈍で、動く気配も見せない。

「まー、ちゃっちゃと倒してあげよーや。出てきて! ミルタンクちゃん!」     (#100 I 11.03.09)



 そういうとアカネはジムリーダーらしい華麗な動きでボールを空高く投げ上げ、頂点に達したところで赤い光と共にミルタンクが姿を現した。
 スピナはその動作をダストダスより血走った目で見ていた。
 ここでいつもならミユの肘鉄が飛んでくるところであるが、幸か不幸か今の彼女にそれだけの気力は無かった。
 出てきたミルタンクは、勇ましい顔つきでアスファルトの地面をしっかりと踏みしめ、今にも敵に突っ込んでいきそうな勢いだった。
 モーモー牧場で見た温和なミルタンクとは一切違う、バトルのために鍛え上げられた、俗に言う「コガネのおばちゃん」を体現したような姿だった。
 しかし……
「うーん、勢いで出してみたけど、どうやって倒したもんやろ?」
「また……そうやって見切り発車で」
「アンタは黙っとき」
 ミルタンクの得意技と言えば、全体重をかけて突撃する『ころがる』であるが、いくらなんでも汚物の塊に突っ込ませるわけにはいかない。
 正直、ミルタンクを出したことを後悔していた。
 一方でダストダスは、そんなことはお構いなしに暴走剤を注射器ごと飲み込み、大きなげっぷを一つした。
 これがまた酷いもので、ディーゼル車の排気口を顔面いっぱいに押し当てられたようだった。アカネと少年三人はそろって顔をそむける。
 そして次の瞬間、とんでもないことが起こった。ダストダスが不敵な笑みを浮かべたかと思うと、空中に舞い上がったのだ。
「は……はあ? こいつロケットでも飲みこんだんかいな?」
 あっけにとられている間に、ダストダスはビルの屋上ほどの高さまで浮遊し、次に膨張し始めた。
 周囲の毒気も相まって、もう何が起こっているのか理解できない。スピナに至っては、アカネちゃんを生で見られたんだからもう考えるのをやめよう、と思っていた。
「これが……暴走剤の……」
 ヒロは、こんなやり方で倒されるなんて、と絶望しかけていた。
 ダストダスはおそらく街を覆うほどにまで膨張し、辺り一帯に毒霧をばらまき、都市機能を麻痺させてしまうだろう。
 そうなってしまってはもはやスラアレクを倒すどころの話ではない――

 空中で何か弾ける音がした。瞬間、毒霧が和らいだ気がした。

「……お母さん?」
 ミユは見逃さなかった。今波導弾を放ったトゲキッスは、まさしく母アミダのものだった。まさか、ミナモから飛んできたというのか。
 見ると、トゲキッスの他にも十数匹の鳥ポケモンが宙を舞っている。彼女は、これがファインの言っていた『POC』だと確信した。
「ほら、今のうちに! こんなとこに長居はできないよ、いろんな意味で」
 ヒロががばっと立ち上がり、走り出した。そういえばミズゴロウを取りに行く途中で、しかもここは毒まみれだったっけ。
 母を見つけた感動で気味悪さが吹っ飛んでいたらしい。
「なんやようわからんけど、コガネのジムリーダーとして協力せないかんよね」
 アカネもミルタンクをボールに戻し、三人の後を追った。     (#101 W 11.03.09)



「犯罪者を捕まえるのが俺の仕事だ、邪魔をするな」
 朝日がまだ昇りきってなく薄暗い35番道路は、まるで今のイコスの心境を物語っているようにも見えた。
 イコスにとって彼等は昔の戦友であり、またよき仲間でもあったので仕事というだけで私情を簡単に打ち消すことはできなかったが、
 それでもイコスは迷いがないと思われるような表情を浮かべる。
「いきなり暴走剤を犯罪とするなんて理不尽だろ」
 カイリューに乗ったままのウィーナが反論する。彼もまたイコスと同じような心境でいた、いや、POCのメンバーみんながそうであるだろう。
「暴走剤が危険であることはお前等自身も昔からよく分かっていたことだろ。
 大体、実験のためとはいえそんな危険のものを息子に持たせるのはどうかと思うがな」
 ハンサムがWiiNaを罵り、ポケットからタバコを取り出し着火する。その様子からもハンサムの相当な自信が伺える。
「俺はそんなつもりでは――」
「茶番はもういいよ。言い合ったところでどっちが正しいなんてわかんないわよ」
 ハイトがそう言って懐からモンスターボールを取り出して小さく舌打ちした。

 そのときからだったか、コガネシティの方角から腐肉を発酵させたような、人間の鼻では耐え難いような臭いが漂ってきたのは。
 この場にいた者はコガネシティで起こっていることを知る由もなかった。

 その場にいるもの全員が臨戦態勢に入り、国際警察対POCの総力戦が始まろうとしていたときそれは浮上し、膨張を始めた。
「な、なんだあれは……ダストダス!?」
「それにしては大きいし臭いし……何より様子が変だ」
 その異変に気づいたコガネシティの住民達は老若男女各々独特の声で悲鳴を上げることを始めた。
 マグカルゴやウルガモスといった特性"ほのおのからだ"を持つポケモンを使ってポケモンを孵化させていた謎の自転車を駆る集団たちも、
 その行動をやめ逃げることに徹した。
「ミユ!」
 その様子を見たアミダがトゲキッスを全速力でダストダスのほうへと向かわせた。その様子をみた他のPOCの面々もアミダを追った。
「また暴走剤か……くそっ!」
 イコスが地団駄を踏む。彼はその優秀な腕っぷしで、今まで様々な事件を解決してきたが、今回の事件は自分の思う通りに解決できずに苛々しているようだ。

「ちょっと待て、本部から連絡が入った。……」
 ハンサムが携帯電話を取り出し、電話を始める。その携帯電話には娘と思われる人物とハンサムが映っているプリクラが貼ってあった。
「な、何!?」
「どうしたんだ、柄でもない声上げて」
 ハイトがハンサムに問う。彼の額からは冷や汗が流れ始めてその顔は青白く染まっていた。
「このジョウト地方の各地で……暴走剤を打たれこまれたと思われるポケモンが大量に出現しているらしい……」
「と、とにかく俺は一度本部に戻って対策を練る。お前等はこのままスラアレクを……暴走剤をなんとかしてくれ!」
 ハンサムはそういってモンスターボールからムクホークを取り出して早々と飛び立っていった。
 イコスは湧き出る怒りに耐え切れず、思考することをやめた。その目は獲物を狙う鷹のように見えた。
「行くぞ、コードネーム、ハイト」
 そういってコガネシティへ向け走り出した。
 ハイトはその様子を見てやれやれというポーズをとりながら、とんだ大事に巻き込まれたものよねと言って急いでイコスの後を追った。     (#102 O 11.03.09)



 イコスはジレンマに陥っていた。目の前を飛んでいる彼らは国際警察の彼が真っ先に逮捕すべき犯人であり、傷つけるべきでない旧友であった。
 たとえ今ウィーナの手を掴んだとしても、手錠をかけるのにはいくらかの躊躇う時間が必要だっただろう。
 だからイコスは、その電話に救われたと言える。逮捕するわけでもなく、かといって犯人をわざわざ見逃したわけでもなく、
 電話の先から署へ戻ってこいと言われたせいでどうしても犯人を逮捕することが出来なかった、という口実が出来たからだ。それは一種の逃げであった。

 イコスが電話を受けすぐに自分達の前から姿を消したところを見ると、何か事件でもあったのだろう。とウィーナは判断した。
 わざわざ追いかける必要もなかったので、彼は何事も無かったかのように、自分のポケモンにアミダの後ろを追うように命令した。
 イコスが去った理由は、それからすぐに分かった。ポケットの中が振動する。
 震えている携帯電話のフロントパネルを見ると、電話をかけてきているのはファインだと分かった。
 飛行中の空気のノイズが入らないようポケモンに速度を落としてもらい、彼は電話に出た。
 「どうしたんだファイン。急ぎじゃないならあとでにしてもらえると嬉しいんだが、今コガネシティの中で誰かが暴走剤を使ったらしいんだ」
 「それが急ぎなんだよ。もっと重要なことだ。暴走剤が使われたのはコガネだけじゃない。
  各地で暴走剤が使われてるみたいなんだ。"暴走"が始まったらしい」
 ウィーナは唖然として、携帯電話を落としそうになった。暴走剤を投与する"暴走"行為が、複数人で行われているという。
 暴走行為は人数が増えれば増えるだけ、被害は加速度的に大きくなってゆく。
 かつて暴走剤を研究していたPOCが、今は禁忌としている行為だ。これを行うのは当然――。
 「スラアレクの野郎ッ……」
 凄みのある表情で、歯が削れそうなほどの歯軋りをした。     (#103 B 11.03.10)



「ウィーナ、どうしたの? すごい怖い顔してるけど」
 ダストダスを撃破したアミダが戻ってきた。
「ああ、ファインから連絡があってな……ジョウト中で暴走剤を使ったポケモンが出てきて――」
 ウィーナは怒りで体を震わせている。その先は言うまでも無かった。アミダの顔から血の気が引く。
「コガネに全員で飛んできたのは間違いだったか……」
 ほとんど希望を失っていた。その時、近くを飛ぶマリクが声を上げた。
「南から何か飛んできた! あれはラティオスか? なあウィーナ、POCにラティオスを使うやつっていたか?」
 ラティオス――ウィーナとアミダには、心当たりがあった。二人の顔が少し明るくなった。

 一方、少年三人とアカネはヒロの家を目指して走っていた。
 ダストダスの件で町は混乱していたが、彼らにとってはそのほうが好都合だった。追っ手の目をくらませることができるからだ。
 ヒロの家は、中心市街からやや東に離れたところにあった。
 十分ほど走り続けて三人は朝っぱらからへとへとになっていたが、後ろをついてきたアカネは特に疲れた様子も無く、いい運動をした、というような表情をしていた。
「父さんがミナモから飛んできてるってことは、家には誰もいないわけだ」
 ヒロはそういって、リュックから鍵を取り出して家に入っていった。
 待つ間は、男一人に女二人か、喜ばしい状況ではあるが、どうも手に負えそうにない、とスピナが疲れ切った頭で妄想を展開し始めたとき、家のドアがまた開いた。
 ヒロがモンスターボールを片手に、怪訝な顔をして出てきたのだ。
「なんでだろう。ミズゴロウ、玄関に置いてあった」
「えっ」
「それに、いまさらですけど、なんでアカネさんはついてきてるんですか」
 ヒロの質問に、アカネは顔を輝かせた。
「そう、そう、それ。いつツッコんでくれるんかと思うてたけど、そのことなんよ。まずはこれを見てみ」
 アカネはもったいぶった動作でポケットから何かを取り出した。それは封筒のようなもので、中には飛行機のチケットが四人分入っていた。
 コガネ国際空港からヒウン国際空港、出発は今から二時間後……?
「まあ、いろいろ言いたいことはあるやろうけど、ある人から君らのこと頼まれてな。詳しいことは後回し。今はまず逃げなあかんからね」
 三人に有無を言わせない形でそう言い放つと、モンスターボールを四つ取り出し、一気に放り投げた。中身は四つともギャロップだった。
「ほら、時間との戦いよ。その子たちはよう訓練されてるから、振り落としたりはせえへんよ」
 そしてアカネは颯爽とギャロップにまたがり、南に向かって走り出した。
 残された三人は、状況が全く飲み込めないながらも、ギャロップに乗ってアカネの後を追った。
 それは、初めてマツバに会った時のような、あの引き込まれる感覚に似ていた。

「まさか、あんたが来てくれるとはね」
「こんなときこそ俺の出番だからな」
 ラティオスに乗ってやってきたのは、真っ黒なコートを着た紳士風の男だった。彼はそこにいるだけで、周りの者を惹きつけるような魅力を持っていた。
 あの「幻覚の町」で出会った時から、今も変わりなく。
「今はこんな状況だしかいつまんで説明するけど、ジョウト各地で起こってる暴走の件は、あれは全部俺が流した偽の薬だ。
 しばらく大きくなったあとに強力な麻酔を発動させて、ポケモンを元の姿に戻すとともに少なくとも一週間昏睡状態にする。
 少々残酷かもしれないが『サーバー』を落とす方が手っ取り早いと思ったのでね」
「確かにあいつらにはそういう方法もありかもしれないな。そうすると俺たちはこれからどうしたらいい?」
「今さっき、ボーマンダが飛んで行ったな。あれはイコスだろう。ということはじきに国際警察が動く。
 任せておいても問題ないかもしれないが、やはり開発者として事態の鎮静には加わるべきだろう」
 男の説明は明快で説得力があった。彼は「幻覚の町」の町長として慕われている一方で、アミダが立ち上げたPOCにも設立当初から在籍している。
 それでも本職は町長であり、POCで大きな祝い事や事件が起こったときしか姿を見せない。
 しかしひとたび彼が現れると、リーダーのアミダさえ彼の冷静的確な分析に従って行動した。彼にはそれができるほどの人望があった。
「じゃあ、子供たちはどうなるの?」
 アミダが不安げな顔をした。バトルフロンティアで優勝した凄腕のトレーナーも、娘を思う時は一人の母親である。
「それも心配は要らない。ちょうどコガネに知り合いがいたから、彼女に任せたよ。ヒウンに飛んで、そこで十分経験を積んでもらう。
 戻ってくるころにはきっと立派なトレーナーになるよ。ということで俺は暴走の鎮圧に向かう、みんなも手分けしてやってくれ」
 そこまで言うと男は方向転換し、ラティオスに乗って風のように飛び去った。眼下に広がるのはコガネから南に伸びる34番道路。
 空港に通じる道を走る四頭のギャロップが見えた。     (#104 W 11.03.13)



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