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           ――試練越え躍進! 全国バトルフロンティア選手権 アザミ初優勝!

     先鋒のハガネールがステルスロックを場に巡らせた瞬間、アザミは勝利を確信したという。「私はやるように
     やっただけだ」。凛として語る彼女だが、その喜びは量り知れないものだっただろう。
     4月某日、ホウエン地方で開催された全国バトルフロンティア選手権決勝は、チューブクイーン・アザミが
     タワータイクーン・リラを1-0で下して初優勝を飾った。
                           (中略)
     決勝はアザミの左腕と名高いハガネールの独壇場だった。耐久力のある鋼鉄の身体でリラを圧倒し、
     ドラゴンテールの猛攻を加え続けることで戦況をかき回した。また隙を突いて放たれるジャイロボールも
     見ものであり、1匹でリラのパーティを壊滅状態にまで追い込んだ。

     チューブクイーン・アザミは蛇のような姿態のポケモンをよく好んで使う。「自分で貫いたその信念。初めは
     その戦い方に馴染めずに苦悩していたが、友人からミロカロスを貰い受けたことによって才能が開花した」
     とフロンティアオーナー・エニシダは語る。
     「相性が良かった。リラとはまた一戦交えたい」アザミは謙虚ではあるが、次の大会への闘志を露わにした。
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     ※アザミ……本名をM・アミダ。幼い頃の旅の経験を綴ったエッセイ『幻覚の町』は大ベストセラーとなる。
     X年にはホウエンポケモンリーグGP3位、ジュニアバトルフロンティア選手権2位と二冠で脚光を浴びる。
     翌年には弱冠16歳にしてチューブクイーンの座に登りつめた。XX年、全国バトルフロンティア選手権6位。
     未だ衰えないその強さに世界が注目している。ミナモシティ出身。

    ***

 アミダはその記事をちらりと見て、すぐさま社会面へとページを繰った。最近の新聞は頭の痛くなるようなことばかり伝えてくる。
 今朝もその例外ではなく、紙面には大きく『ドーピング取締法』という文字が躍っていた。
 連日、この条例に関してはホウエン地方でもトップニュースの扱いである。アミダはため息をつく。
 バトルフロンティアでは暴走剤の使用は固く禁じられている。それはフロンティアオーナー・エニシダの意向であり、逆らう者はいない。
 もしかすると、エニシダはこの条例が成立されるのを3年前から既に予感していたのかも知れない。だとしたら彼はやはり相当の手腕家である。

「POCはどうなることやら……」アミダは窓の外をぼんやりと眺めた。海の蒼色が目にしみた。

   ***

 ミナモシティ某所、街の裏通りにひとつの薄汚れた雑居ビルがあった。各階では風俗店や飲食店が営業されている。
 その最上階に『POC会議室』はあった。もっとも、床の板張りはめくり上がり、窓はひとつ残らず割られている。
 そこはもはや部屋として機能していないと言ってもいい。
 そんな部屋に、人の姿があった。かなりの人数である。人々は白衣を身にまとい、椅子に腰かけている。
「ファインから連絡があった」
 暗闇の廃れた部屋に、声が響く。ウィーナの声だ。
「あいつ……今更、何の用だぴょん」白衣のひとりが舌打ちした。
「"ドーピング取締法"が間もなく適用される。危ぶまれていたように、その条例で俺の息子が窮地に立たされている」
 あの薬の効果はどうだ、と白衣のひとりが訊く。
「ファインにはあの薬に隠された"真価"を知らせていない。連絡は期待できない」
 白衣の人々から嘆息が洩れる。露骨に腕組みをする者まで現れる。
「なら、僕たちのすることは――」
「もう決まったも同然ね」
 ベカが口を開いたときだった。アミダが会議室に入ってきた。     (#89 I 10.12.30)



 ――すっかり様変わりしてしまった。
 アミダは真っ暗な部屋を見渡して、心の中でため息をついた。
 もともとはこぎれいで静かで、落ち着いた部屋だった。数年にわたる活動の記録が部屋の隅々にあり、時々それをタイムカプセルみたいに引っ張り出しては笑いあった。
 黒歴史だ、と叫んでも、そこでは確かに私たちが息づいていた。
 ……一年ほど前だろうか。会議を要する急な要件もなくなり、博物館のように静かに時を刻んでいた空間が、突然破壊された。
 もう使わないからと鍵もかけておかなかったのが不運だった。
 いったいどこから嗅ぎ付けたのか、「スラアレク」の一味と思われる盗賊団に、徹底的に荒らされてしまった。
 施錠の不注意を責めることはできないが、だから奴らを許すのではない。許せないからこそ、あえて電気も点かないこの廃墟で会議を開くのだ。

「元気そうじゃない」
「みんな揃ったのは久しぶりだけど、何も心配は要らなかった」
 アミダの声にウィーナは素早く反応した。
「やっぱり、ここに来ると思い出すよね」
「当たり前だ。歴史が一つ消えてなくなった瞬間だ。忘れられるものか」
 ウィーナはよくこういう大げさな表現をする。しかしそれが、彼の怒りの大きさを物語ってもいる。
「そもそも、招集したのはアミダじゃないか」
「そうだよ、僕またいつもみたいにウィーナがイニシアティブ取るのかと思ったけどびっくりしたよ」
 ベカがウィーナの向かいの席から身を乗り出す。この少々厄介な元気さも昔のままだ。
「私だって感情的になることもあるの。その前に一つ整理しましょう。ウィーナ、息子さんはどうしてる?」
「ああ、今ちょうどキキョウシティだ。フスベを回って西に進んでいるから――」
 ウィーナはそこであえて言葉を切った。
「やっぱり『例のアイツ』を?」
「間違いないだろう。直接話したことは無いが、事件に巻き込まれたのなら絶対そこを目指す」
 ――俺に似て、こだわりが強いから、と小声で付け加えた。
「それじゃあ決まりね。行きましょう」
 その一声でウィーナ以下会議のメンバーが全員立ち上がり、彼女についてビルを降りていく。
 彼らはそのまま人目につかない場所から一斉に鳥ポケモンに乗って飛び立つのである。向かう先はもちろん――。

「かえんほうしゃ!」
 36番道路に少年の声が響く。ワカシャモはそれに応じて高温の炎を吐き出す。飛び出してきた野生ポケモンたちは一瞬で薙ぎ払われた。
 ヒロはここに来て初めて、ポケモンバトルの心地よさを感じていた。
 何の役にも立たないコイキングは赤いギャラドスに進化したが、いずれにせよ衆目にさらせないのは同じだった。
 そしてミユはベイリーフとマリルリのコンボで色鮮やかな戦いを繰り広げる。そのチームワークは、一歩進むごとに強くなるようだった。
 一方最後尾のスピナだが、いつの間にかワカシャモが自分を顧みなくなったことに絶望しつつ走っていた。
 このままヒロになついて、そのうえミズゴロウまで手にしてしまったら、自分はどうするのか。
 そうでなくてもギャラドスが居るのだ。あれ? 俺いつからこんな崖っぷちだった?

 自然公園の入り口が見えてきた。ここを抜けて南下すると、いよいよ父の宿敵がいるコガネシティである。父のメモに込められた深い怒りを、少年はしっかりと感じていた。
 だが、そう簡単に通してくれるはずはないのである。それをわかっていながら、なぜか心は澄み切っていた。     (#90 W 10.12.30)



をりしも、バタフリーが夜空に羽ばたいているのを、3人は見かけた。

「あ、綺麗だね」

ミユが独りごちた。バタフリーの羽から粉雪のような鱗粉がはらはらと舞って、街路灯の光によって輝いている。

バタフリーから視線を戻すと、とあるコンクリート造りの白い建物が見えた。入り口の横に釘で打ち付けられている看板には、「自然公園」と彫られている。

「ここが、自然公園か。意外にエンジュとは近かったな」ヒロはそう言いながら、その建物に入っていった。     (#91 B 11.02.23)



 自然公園のゲートには壁一面に、大小様々の液晶パネルが設置されている。
 そこには『虫取り大会』の日程が事細かに記されていたり、自然公園内部の様子、またネットワークを介して全国のニュースなどが映し出されていく。
 ヒロは幼いころ、よく友人たちを連れてこの自然公園に遊びに来ていた。当時の面影は依然変わっていない。
 ミユとスピナはやっと都会らしいところに来たな、という感じで安堵している。
 それぞれ大都市を故郷に持つ彼らにとって、エンジュやチョウジといった田舎は性に合わなかった。
 パネルに流れる無機質な映像を眺めて、ヒロたちは自分たちのおかれている状況をしばし忘れる。

「――待っていたよ!!」

 不意に、声。
 振り向くと、自然公園への入り口に控える警備員の背後に、白衣の男ファインの姿があった。

「マツバの追跡を振り払って来たんだが、君たちは歩くペースが遅いな。すぐ追いついてしまった」
「そりゃあ、気づいたら年が明けてたぐらいですから」
「おっと執筆者たちの悪口はそこまでだ」

 ファインは胸の内を絞り出すようにそう洩らした後、事情が変わった、と言って白衣を翻す。

「君たちに教えておくことがある。僕の所属する『POC』のメンバーが、コガネに向かっているということ。
 それから、君たちのお父さん、お母さんのことについても……ついてきなさい」

 ファインの風貌は、ちょっと警備員の顔をしかめさせたが、その後ろからヒロたちがついてきたので咎めることはしなかった。
 自然公園の内部に入る。公園の中央では、優雅な噴水が水を打ち上げている。
 夜空には街路灯に照らされたバタフリーが、夜風に翻弄されているのか、どこか危げに空を漂っていた。
 灯りから外れ、淡い月明かりに照らされているものなどは儚げに映った。

 人気のない自然公園に、彼らの硬い靴音だけが響く。
 ファインは言いよどむことなく、次々と彼らの親の名前を挙げていった。アミダ、ウィーナ、ベカ……。
 ヒロたちは驚いていた。旅の道中に、親の名前を耳にしたのは初めてだった。彼らは父母のことを思った。

 今頃、元気にしているのだろうか――

「――この3人は、我が『POC』組織の立役者であり、言わば『POC』の核(サーバー)だ。
 "暴走剤"をこの世に生み出したのも、彼らの働きによるものだと聞いている」

 ファインは突然立ち止まって、ヒロたちのほうを振り返った。
 その顔は冗談を言っているようではなかった。眼鏡の奥にある黒い目はどこまでも冷たく、輝きというものがない。

「僕はわけあって、『POC』から信用されていない人間で、詳しいことは何一つ知らされていない。
 これは机上論でしかないが、もしかしたらヒロ君。君のその未知なる"暴走剤"……君の旅はすべて、
 その"暴走剤"の効果を確かめるためだけの実験であった、ということは言えないだろうか?」

 あくまで机上論だが、とファインは念を押すように繰り返す。

 ヒロは少し震えた――頬が冷たくなるのを感じたが、目だけは毅然としてファインを見据えている。

「――そんなこと、僕たちはもう考えていた。今更、他人に言われることじゃない。
 僕たちがコガネに行く理由のひとつには、父が僕にこれを託した真意を確かめるということもある。
 しかし、父たちがコガネに向かっているというのは有益な情報だ。教えてくれてどうもありがとう」

 早口にそう言いのけた後、ヒロは話にならない、とでも言わんばかりに肩を小さくすくめてみせて、「行こう」と言った。
 ミユとスピナは顔を見合わせて、多少戸惑いながらヒロについていく。ファインのことなど振り向きもしなかった。
 
「……血は争えないものだ」
 ファインは微笑をたたえて、コガネに向かっていく3人の子供たちの背中を眺める。
 そこにウィーナたちの姿を重ね合わせてしまうのは、彼らに対する憧れなどではないと信じたかった。     (#92 I 11.02.24)



「ふう」
辺りは暗く小さな湖の真ん中に祠が1つぽつり。
無音、小さな祠が1つだけあるのが寂しさをより強調させた。
イコスはフスベシティの地下にあるりゅうのあなにいた。
手持ちのボーマンダもここで育てたものであった。
ジャケットからお気に入りのタバコを1本取り出し、呟く。
「昔はここも賑わっていたんだがなあ」

ふと入口のほうから梯子を降りる音が聞こえた。
間もなくそれは姿を現した。
「やあ、待たせてすまないね」
「久しぶりだね、ママ」
黒の目立つウィンドブレイカーを着た男だった。
背丈はイコスよりやや小さく、イコスとは違って髭はバッチリ剃っているようだ。
「ママはもうやめろ、あの仕事は、うんざりだよ」
「それより、こんな所に呼んで一体何の用だい? イコス」
ぺらぺらと続けざまに喋る沖田にイコスは少し驚いたが、特に気には留めなかった。
「……先日、アミダの子について話しただろう、あの子の連れにはベカとウィーナの子もいるんだが、やっかいな事件に巻き込まれそうでね」
「やっかいな事件?」

イコスは暴走剤のこと、黒服達のこと、スラアレクのことを沖田に話した。

「なるほど、それなら喜んで協力するよ」
「まだ言ってないのに流石察しがいいな」
イコスは沖田との友情をひしひしと感じていた。
「じゃあまずはどこへ向かおうか?」
「コガネシティ……かな」
煙草はもう3本目であった。     (#93 O 11.03.06)



 イコスは皮膚病のように赤く錆び付いた梯子に足をかける。頭上を見上げると、竜の穴の出口が小さく見えた。
 出口はぽっかりと丸く切り取られていて、まるで夜空に浮かんだ月のようである。
 イコスはこの光景をまだ駆け出しのころからずっと見てきた。
 それは井戸の底から果てしない空を仰ぎ見ているようで、『井の中のガマガル、大海を知らず』という言葉が身にしみたものであった。

 梯子を登る足音が響く。イコスは下から沖田がついてきていることを確認し、口を開いた。
「ところで、アミダの娘がマリルリを持っていたんだがな?」
「うん。それは多分、僕のマリルリだよ」

 いったい、どういう経緯なんだ? そう言おうとしたところで、出口から降り注ぐ光に影が射した。

「――久しぶりだな! ママ?」
 恫喝的な低い怒声が、洞窟の中に反響した。ハンサムが不敵な笑みを浮かべて、沖田の姿を覗き見ていた。
「……えっ! えっ!? ちょっと! イコス、これはどういうことなの?」
「落ち着け、女口調に戻ってるぞ」

 2人は身動きが取れないまま、ハンサムと睨み合っていた。ハンサムは腕時計をちらりと見やって、ため息をつく。

「売春防止法や詐欺罪、その他諸々の罪でお前を逮捕したいところだが、今は一刻を争う状況だ。
 ……いいか? 今からお前のコードネームは"ハイト"だ。私たちはこれからコガネへ向かう。
 謎の組織、スラアレクを壊滅させること。それからヒロ少年たちを捕らえること。これが主な目的だ!
 過去の事実を露見されたくなければ、私たちと協力することだな。分かったか?」

 ハンサムは早口にそう捲くし立てると、くたびれた茶色のコートを翻し、出口から姿を消す。

「よろしくな、ハイト」イコスは軽快に沖田に声をかけた。
「見損なったわよ……」まさに地の底から響いてくるような、憎悪に満ちた声が返ってくるばかりであった。     (#94 I 11.03.07)



「ラジオ塔がはっきり見えてきた。この様子だとあと十分もかからないね」
 先頭でトゲキッスを操るアミダが言った。
 ミナモを飛び立ったときは夕暮れだった。今、東の空は明るくなりつつあり、やがてシロガネ山の陰から朝日が顔を出すだろう。
「いやあ、たまにはこういうのもいいね。ちょっと寒かったけど」
 グライオンにしがみついているベカが陽気な声を上げる。そしてその後ろにはPOCのメンバーが十数人。
 各々お気に入りの鳥ポケモンに乗ってミナモから飛んでいる。
 深刻な使命ではあるが、満天の星空を背に彼らの口はついに一晩中休むことは無かった。ただ一人の例外を除いて。
 カイリューに乗るウィーナは、ミナモを飛び立ってから一言も喋っていない。
 考え事を始めると完全に自分の世界に入ってしまうのだ。POCのメンバーと一緒に飛んでいなければ、今頃どこにいるかわからない。

 ――確かにあれは最新の暴走剤『E-hit』で、しかも独自開発した理性をコントロールする成分も配合してある、いわば最強の薬だ。
 それを息子がコイキングに使ったのは、予想通りと言えば予想通りである。しかしあまりにも時期が早すぎた。よりによってドーピング法制定直後に……。

 ウィーナとしては、ドーピング法が広く行き渡ってから、しかるべき場所でE-hitの実用性を証明して見せてからさらに改良を加えていくという予定だった。
 コガネシティのスラアレクについても、本来はミズゴロウを十分に育てさせてから挑ませるつもりだった。ところが――

 俺としたことが、肝心な時にとんでもないことを……

 むろん、責任はすべて自分が取るつもりでいる。半日間の空の旅で覚悟を決めた。
 お世辞にもバトルは上手ではないが、卑劣な盗賊団に負けるわけにはいかないと心は熱く燃え盛っていた。
 なにせ、あのギャラドスを公衆の面前――しかもジョウト最大の都市――に出すのは無理な話だ。それにPOCの情報網によれば、国際警察も動いているという。
 何としても、先に乗り込まなければ……

「何か見える」
 エアームドに乗る若者、マリクが呟いた。空に緊張が走る。
「東の方に、何か飛んでる」
 明け方の薄暗い空の中でそれを視認できたのは、メンバーの中でも飛びぬけて目がいい彼だけだった。先頭のアミダが双眼鏡を取る。
 そこには、曙光に照らされ風を切るように猛スピードで飛ぶ青いもの――ボーマンダの姿があった。
「…………」
 アミダは双眼鏡を静かに下ろし、振り返る。いつにない鋭い眼光。それはまさしく、一世を風靡したチューブクイーン・アザミのものであった。
「全速力で行くよ」
 号令一下、のんびりと編隊飛行をしていたポケモンたちは一瞬で戦闘機に変じた。標的はただ一つ、賊軍スラアレクの牙城のみ。
 夜明けはもう間近である。コガネシティで激動の一日が幕を開けようとしていた。     (#95 W 11.03.07)



 ファインを見逃したのには、理由がある。

 ひとつは彼から引き出せる情報は、僕の千里眼で全て引き出してしまったから。
 どうやら、彼らが巻き込まれている事件にはいくつもの組織や派閥が複雑に絡み合っているらしく、それらが今朝、コガネに集結しているということだった。
 アカネちゃんには悪いが、こういうときはエンジュで大人しくしているに限る……厄介事はごめんだ。
 ふたつめ。彼はやはり、あの3人の子供が黒服――スラアレクと言ったか――に狙われていることを知っていたらしい。
 それどころか、彼がその組織の誰かと関わりを持っていた光景まで見えてしまった。こうなってくると失望を通り越して怒りすら覚える。
 しかし腑に落ちないのは、彼はそれを承知の上で僕にあの3人の修行を頼んだということだ。これはつまり、あの3人の命を守ってくれ、というメッセージである。
 彼はいったい、どちら側につく人間なのだろう……?

 ……それから、みっつめ。

「まあいいさ。スイクンを追い求める気持ちは私のほうが上なんだ」

 それは老師の隣に腰を降ろしている、こいつの帰京を聞きつけたからだった。

   ***

 拝殿の中に祀られた三聖獣の像を、ミナキは無遠慮に眺めている。
 もしこの障子を開けば、ミナキは眼を輝かせてスイクンの像を奪い去ってしまうかも知れない。マツバは頭をかきながら、ミナキのもとへ歩み寄る。

「カントーではずいぶんと笑われたようだな」
「ふん。あんな少年にスイクンを託した私が馬鹿だった。スイクンはやはり、今の私にこそ相応しい」

 ミナキは10年前と何一つ変わっていない。
 スイクンを追っていると、老いる暇もないのだろうか。その青い眼には若者らしい鋭い光を宿し、信条も若いころと変わっていない。
 ちょっとそんなミナキが羨ましくなってしまったマツバは、目ざとくミナキの目尻に小皺があるのを見つけ、やはりこいつも俺と同じ人間だ、とほっとした気持ちになる。

「そんなことより。老師、スイクンの安否は」
「うむ」

 老師は懐から青色の小石を取り出した。スリバチ山で取れる"水の石"である。老師はマツバの手の平にそれを押し付けた。
 水の石はよく見ると、くすんだような青色をしていた。老師はひとつ、ため息をつく。

「マツバ、ミナキよ。状況はあまり芳しくない。スリバチ山は黒服たちの思うままに荒らされてしまった。
 もしかしたら、スイクンは今、彼奴らの手中にあるのかも知れぬ。考えたくないことではあるが」
「……何だと?」
 ミナキの眉間に深い皺が寄った。身体をわなわなと震わせて、マツバの持つ水の石を殴らんばかりの形相で睨んでいる。
「お、落ち着けミナキ――」

 白いマントが翻った。次の瞬間には、ミナキは脱兎のごとく走り出していた。
 ミナキは荘厳な寺の門まで駆けて行く途中で、声を張り上げてこう言ったのだった。

「待っていろ、スイクン! 今すぐ私が助けに向かうぞ!」

 単純すぎるだろう……とマツバは呆れて物も言えなかった。     (#96 I 11.03.08)



「どうして、あんな嘘をついたんです」
「それは簡単じゃ。わしはあいつが苦手での」
 老師は平然と答えて顔をさすった。演技に疲れたとでも言っているようだった。
「……まあ、そうは言ってもスリバチ山が荒らされたのは真実じゃ。
 何者かが結界を破り、黒服どもを侵入させた……しかも非常に霊感が強い。見張りのゴーストたちまで倒されたのだから」
 マツバの表情が曇る。それを見た老師はすかさず、お前の術のせいではない、と慰めた。
「しかし、そうなると敵方に霊能力者がいることになります。ファインから引き出した情報によると、その者の名はドダイト。
 もっとも、ファインは彼に失望している様子でしたが」
「ほう、詳しいではないか。干渉しないと決めたのではなかったかな?」
 老師はマツバの感情をすべて見透かしていた。触らぬ神に祟りなし、と言いながらあの少年を助けたいこと、そしてファインの正体を見破ってやりたいこと……
「……ええ、そのつもりです。それにPOCのアミダと言えば、あの女の子、ミユの母親ではないですか。ますます介入するわけにはいきません」
 ミユ、と言った瞬間目の奥にまばゆい光が甦り、思わず目を閉じた。軽いトラウマ状態である。
「そうか、それなら仕方ない」
 老師は立ち上がり、部屋の窓を開けた。ここからはスリバチ山が一望できる。美しい新緑に包まれているはずの山からは黒い煙が何本も上っていた。
「だが、遠慮はするな。コガネぐらいなら瞬間移動の術を使ってやれる」

 35番道路。自然公園を後にした三人を、春の柔らかい日差しと風が包む。朝日が半分ほど顔を出したところだった。
 コガネシティの摩天楼はすぐ目の前にあり、父の宿敵・スラアレクの首魁がここにいる。だが、そんなよこしまな気配は、あたりの澄んだ空気からは一切感じられなかった。
「……ねえ、ヒロ」
 ミユが静かに口を開く。
「本当に行くつもり?」
「ああ、父さんのメモがあったからね」
「でもそれじゃ、ファインが言ってたみたいに、操り人形みたいなことにならない?」
 操り人形――そう思わないではなかったが、実際にそう言われるとなかなか心に響く。ヒロはしばらく黙りこんだ。
「そう……かもしれないけど、自分は行くべきだって思ってるよ。それにどっちみち、コガネには来なきゃいけなかったんだよ」
「また開き直って、それでやられちゃったら、どうすんのよ」
 無意識のうちに感情が高まり、ヒロに詰め寄る形になった。それでも彼は動かない。もともと無表情だが、今度ばかりは危ないものを感じた。
「まさか、あのギャラドスで戦おうなんて……」
「そんなことはしないよ。だから先にミズゴロウを取りに行くし、悪いけど二人にも手伝ってもらうかもしれない」
 先に取りに行く? 敵の黒服がうようよする町でそんな悠長なことが――
「それに、ほら、急がないと捕まっちゃうんだから」
 ヒロは空中を指差す。目のいいミユはすぐにわかった。イコスとほか二人を乗せたボーマンダが、おもむろに、首をこちらに――三人は一斉に走り出した。

「悪いが、逃がさんぞ。事情がどうあれ、君たちは法に背いた」
 イコスも三人を視認し、速力を上げて追おうとしたが、不意に背後のハイトがそれを制止した。ボーマンダは急上昇する姿勢になり、危うく振り落とされそうになった。
 急に何を――イコスが怒鳴りつけようとしたその時、目の前を高速で飛ぶ何かが通り過ぎて行った。
 青く輝く高エネルギー体、『波導弾』である。
 イコスはあわてて振り向く。トゲキッスを筆頭に十数匹の鳥ポケモンが、彼らをめがけて襲い掛かってくるのが見えた。
「あの先頭の女、二代目アザミじゃないのか。あれがPOCのアミダか?」
 ハンサムが双眼鏡を手に言う。イコスは怒りで体が爆発しそうだったが、なんとか心を落ち着かせた。
 多勢に無勢、とてもボーマンダだけではさばききれない。まずはあの三人を捕まえることだ。ただし、立場上、あまり町を破壊しないように。
「しっかりつかまってろ! 俺の操縦は緻密で荒いからな」
「それはどういう日本語なのよ」
 ハイトの声にも耳を貸さず、イコスはボーマンダに体を合わせ、一気に急降下した。     (#97 W 11.03.08)



三人は走った。とにかく走った。ヒロは人間追い込まれればここまではやく走れるんだなとまで思った。
「見えた! コガネシティの入口!」
ミユが叫ぶ。目前にあるコガネシティにはデパート、カジノなど、ジョウト地方の首都を感じさせる景色が見える。

「街中に入られたか……厄介だな。市民を危険な目に遭わせるわけにもいかんし、後ろからは二代目アザミだ、どうするか」
ハンサムは爪を噛みながら考える。ハイトもそれに便乗するように唇にグーの形で左手を当てる。
「まずはアザミを迎撃するしかないだろうな、厄介な相手だが仕方あるまい」
不意にイコスが提案する。その表情は自分の中に湧き出る感情を抑えきれていないように見えた。
ハイトの表情は、暗かった。

「あれ? 追ってこないね?」
全速力で走って疲れきったスピナが言う。毎日の下校で鍛えた体力は伊達ではないのか、それでも余裕そうな表情を浮かべていた。
三人の周りは沢山の家やビルが並んでおり、非常にみつけにくい場所にいたのは幸いだ。
「俺たちを見失ったか? まあいい、はやく先に進もう」
ヒロが喋っている途中、5、6人の女性が歩いてくるのが見えた。スピナの目は女性陣に釘付けであった。
その真ん中にいるピンク色の髪をしたスタイルの良い女性はアカネちゃんと呼ばれていた。     (#98 O 11.03.08)



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