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「ハイパーボール2個買ったら金が無くなったわけだが」
「バカ」
「アホ」
結局三人とも揃ったのは三時から十分過ぎた頃だった。
ちなみに最後に到着したのはスピナである。なんでも本人曰くゲームセンターを見つけて遊んでいたところ気づいたら時計が3時を指していて、
ショップに駆け込んだらハイパーボール2つでちょうど財布を空に出来ることに気づいたので、ということらしい。
「傷薬とかどうするつもりなのよ」
「そうそう、俺もそれ気づいて焦ってんの、ヤバいよね」
「アホ」
デパートを出た三人は早速乗船場へと足を進める。デパートから乗船場までは、街を縦に横断する形になるので、
到着した頃にはすでに「乗船するお客様はお急ぎ下さい」というアナウンスが響き渡っていた。
乗り込んだ客船は大きすぎず小さすぎずの客船で、中は小綺麗でさっぱりとしていた。
特に船でよく見かけるお別れテープなんかも無さそうなので(というか親の見送りが無いので)、
ミユはとりあえず部屋でゆっくりくつろごうと、二人を先導するようにつかつかと廊下を歩いて行く。しかし部屋の前に立ってあることに気付く。
「えーっとですね、お二人さん、お部屋の番号はおいくつで?」
ヒロが答える。
「205号室だな、ってか今ミユが立ってるじゃないか」
「いやそうじゃなくて……」
ミユががっくりと肩を落とす。
「あ、相部屋とか……」
今更ながらに気付いたスピナもフォローを入れる。
「ま、まあ、別に変なことしたりしないし……だいじょ――」
「絶、対、嫌あああああ!」
ミユが叫び声を上げたことでスイッチが入ったかのように船の汽笛が鳴り響いた。
ヒロとスピナは、部屋に入った瞬間ミユからたっぷり十分以上かけて「女の子のプライバシーに干渉するのは殺人より許されない」だの「私の荷物に触ったら警察に通報する」だの、
道理に適っていないことを含め説教を喰らい、ヘトヘトになっていた。リフレッシュのためにこの船にある「バトルフィールド」に向かうことにした。
船の中ということもあり、レベルの低いポケモンに限りポケモンバトルが出来るという場所らしい。
勿論行きたいと言い出したのはスピナであって、所持ポケモンがコイキングのヒロはその付き添いであった。
「みんな弱いポケモンらしいし俺のアチャモならマジ余裕みたいな」
「でもポケモンバトルしたことないんだろ?」
「あーあーよく聞こえない」
入場許可を得るために受付のお姉さんにアチャモを見せようとモンスターボールを開いた瞬間、今度はスピナの髪が焼かれてしまった。
お姉さんの苦笑いというオマケ付きで通して貰えることになり、早速中に入る。
バトルフィールドは、とりあえずその中にいるトレーナーとなら誰とでも勝負が出来、双方がバトルに合意すれば試合開始をしていいとのこと。
スピナが勝負の相手をキョロキョロと探していると、一人の成人男性が声をかけてきた。
(#18 B 10.04.29)
「きみのしせん! ……なーんかき になる」
恰幅の良い英国紳士風の男が、杖の先をスピナにさして言う。
初勝負の相手がジェントルマンというのも悪くない。勝っても負けても、良い思い出になりそうな気がする。ファイトマネー的な意味で。
スピナがこくりと頷くと、男は杖を振った。杖にはモンスターボールを固定するところがあって、それを振るとボールが開くという仕組みになっている。
ボールは赤い光を放ち、男の手持ちポケモン"ガーディ"の姿を形成していく。
***
午前のカントー行きの船で騒ぎがあったらしい。何でも動力室で小規模の爆発事故が起こったそうなのだが、運航をしばらく中断しただけで、事態は無事落ち着いたそうだ。怪我人も出ずに済んだ。
船が氷山の一角に当たって沈むならまだしも、爆発事故など滅多に起こるものではない。船はこれを人為的な事故と見て、港に着いたら警察に調査を依頼する――と、その記事は伝えていた。
「号外だよ、号外」
ミユがバトルフィールドに向かう途中、数人の船乗りが各部屋にこの記事を配りまわっていた。お嬢ちゃん、1枚どうだい。
ミユがその記事を読んで思ったことは、この船に乗らなくて正解だったな、というぐらいだった。
***
外は真暗だった。甲板に出れば夜空の月や星々の姿、海面に浮かび上がってくるチョンチーの白光などが見られるのだろうが、外はあまりにも寒々しく見えた。
時刻は22時を過ぎている。スピナは食事も済ませず、ポケモンバトルに没頭していた。
ミユはもうドアの鍵を閉めてやろうと思ったが、さすがにそれはかわいそうだったので、とりあえず義務として彼を呼び戻しに来た。
バトルフィールドの入場門は黒い塗装の剥がれた、鉄の扉で出来ていた。ちょっとやそっとの攻撃では壊れないだろう。
ミユは受付に入場許可をとり、中に入る。フィールドには老若男女問わずたくさんのトレーナーがいた。
この船の客をすべてここに収容した数、といっても過言ではない。ミユは早くも帰りたくなった。こんなの、見つけられるわけがない。
ミユはポケモンバトルに興じる人混みの中をかき分けていく途中、白衣姿の男と肩がぶっつかった。ミユの身体は大きく揺れ、倒れそうになる。
男はミユに見向きもせずに早歩きで出口へと向かっていった。嫌な男だ。しばらくミユは肩を抱きながら、男の背中を睨み続けた。
「なんだミユじゃん。どうしたの?」
背後からスピナの声。手には大量の硬貨が握られている。
「あー、あの人ね。何だか感じ悪いよね。でもポケモンバトルは強かったなあ、すごく。
ついさっき戦ってたんだけどボロボロに叩きのめされちゃった。俺の無敗連勝記録もついにそこまで!
でもお金はいらないって言うんだ。変な人だ」
変な人だ、スピナは2回繰り返す。
「で、どうしたの?」
ミユは怒りで震えた。ふん、とスピナに背中を向けて出口に向かう。
「早く寝るぞ!」
人混みにどよめきが起こったが、止んだ。
(#19 I 10.04.29)
ミユが205号室の鍵を開けようとすると、手応えなしに鍵が開いた。
「あれっ?」
ああ、そういえばスピナを呼びに行ったとき鍵を閉め忘れていた。泥棒なんかが入っていたらどうしよう。
恐る恐る足を踏み入れた途端、左にあるトイレの扉が突然開かれた。
驚いて後ろに飛び退いてしまったついでに背後に立っていたスピナの腹に肘鉄をかましてしまった。
「おかえり」
その扉から顔を出したのはヒロだった。
「た、ただいま……。いないとは思ったけど先に戻ってたのね……」
「うん。コイキングじゃバトルもできないし、それに迫力に欠けて詰まらなかったからさ。部屋の前で待とうと思ったけど鍵が開いてたから先に入ってた。
ところでスピナ、どうしたの?」
ヒロがスピナに目をやる。ミユも後ろを振り返ると、そこには腹を抱えて苦しそうにうずくまるスピナがいた。
「あ……ごめん! 痛かった? 大丈夫?」
「だいじょうぶ……れす……」
苦しそうな顔を見てちょっと笑ってしまった。
(#20 N 10.04.29)
ともあれ、三人はそのまま船室備え付けの小さなベッドに潜り込んだ。
ミユは買い物疲れ、スピナはゲームセンターとバトル疲れで、すぐに寝入ってしまった。
しかしヒロはというと、大して動き回ってない上に、例の赤い液体が気にかかってなかなか寝付かれない。
――そういえば、結局一円も使ってないんだよな。
「バリー・ボンズ」であの薬の正体を確かめてから、いろいろと買う予定はあった。
しかし、結局はミユとスピナが戻ってくるまでずっと隅のベンチで座っていた。――いや、気付いたら二人が目の前にいた。
「使わないってのももったいないしなあ……」
天井に向かって一人つぶやく。
そのとき、一つ下のフロアに売店があることを思い出した。スピナと一緒にバトルフィールドに行く途中で見つけたものだ。
入ろうかとも思ったが、もっともスピナは無一文だし、そもそもポケモンバトルのことしか頭になかったので無視して進んだ。
「せっかくだし、行ってみるか」
どうせ眠れないのだ。買いたいものが無かったとしても、暇つぶしだと考えればなんでもない。
ヒロは他の二人を起こさないようにできる限りゆっくりベッドから降り、船室のドアを音を立てないように開けて外に出た。
廊下は思ったよりひんやりとしている。3月末とはいえ、夜はまだ寒いのだろう。
数メートルおきに点々とついている明かりを頼りに、ヒロは売店に向かった。
(#21 W 10.04.29)
下方向の矢印が描かれたボタンを押すとまもなくエレベーターの扉が開いた。
密閉された四角い空間の中で思案する。知り合って一日も経っていない友人達のこと、ウィーナが寄越した謎の薬のこと、
ミナモのデパートで出会ったファインと名乗る白衣の男のこと、そして、これからのこと。
しばらくして、再びエレベーターの扉が開くとすぐそこに目当ての売店があった。
ヒロが店に入るなり店員がマニュアル通りの挨拶を飛ばしてくる。深夜ということもあり客はまばらで、
店内には若い女性店員が一人とヒロを含め客が三人居るだけだった。
(#22 K 10.04.29)
売店には主にフエンせんべいやイカリ饅頭等の土産物が多くを占めていて、
トレーナー向けの傷薬なんかのアイテムは余り品揃えが豊富ではなかった。当然と言ったら当然か。
傷薬等ではなく、こういったものでもポケモンが回復するという話は聞いたことがあるが、ボールから出した瞬間手も付けられない程勢いよく跳ねて、
すぐに死んだように停止する、そんなコイキングに食べさせることはきっと無理だろう。おとなしく普通のアイテムを買うことにする。
そして俺はそんなアイテムの他にも、このバッグに入っている赤い液体の正体を解明するヒントも探していた。
元からこんな売店の中にヒントがあるとは思ってはいないが、もしかしたら同じ物が売られていた…! なんてことがあることが……ないか。
もう一度バッグから液体の入った注射器を取り出してよく見てみる。半透明で透き通っており、水のようにさらさらとしている。タウリンとは違うとなると……。
アセロラドリンク――それだけは無いと信じて自分で首を振る。いやしかし、コイキングとミズゴロウを間違えるようなオヤジだからな、
タウリンとアセロラドリンクを間違えている可能性も無いとは言えない。ためしに匂いをかいでみるものの、注射器から匂いは漏れておらず、やはり中身は分からずじまいだった。
とりあえず買い物をしようと注射器をバッグに仕舞おうとしたとき、俺の前にフエン饅頭の包みを持った一人の男が立って、話しかけてきた。
「君、もしかして手に持ってるのって……」
(#23 B 10.04.29)
その男はファインだった。昼間見たあの勇敢な白衣の男。
ヒロは驚きの声をあげて、思わず相手の顔を指差す。どういうわけかファインもヒロと同じ反応を見せた。
ファインは銀のウインドブレイカーを着て、あの長い髪は後ろでくくってポニーテールにしていた。昼とは雰囲気が違っている。
だが彼の顔や体格、また彼独特の空気で、この男がファインであることは分かった。
「またどこかで会えるといいな、とは思っていたけど。まさかここで会ってしまうとは」
「偶然でしょうか?」
偶然とか運命とか、そういう言葉は嫌いなんだ。ファインはヒロの注射器を見る。
「もしかして、とは思うんだけど……いや、やめておこう」
煮え切らない調子で、ファインはこめかみを親指で押した。
「僕はある人を探してミナモまで来ていたんだけど、やはりその人はそこにはいなかった。
これから僕はジョウトに帰って、またカントーに出て行くつもりなんだが、君は?」
ヒロはこれからの旅の予定を話す。港に着いたら船を乗り換えて、カントーへ向かう。
「ああ、偶然とは信じたくないものだ。
それは早朝の船だろう? なに分かっているさ、たまにはこういうこともあるものだ。
僕も明日、その船に乗るんだ。君とは何か強い縁を感じるね」
ファインは早口でそう言い切ってしまうと、ところで、と話を切り替えた。
「ところで、ついさっきバトルフィールドで君と同年代ぐらいの男の子がいたんだ。
アチャモを使うトレーナーだったけど、あれは君のツレかい?」
そうだ、とヒロは答えた。
「なら悪いことをしてしまったな。初心者相手に、つい本気を出しすぎてしまった。
僕はポケモンバトルとなると、周りのことが見えなくなるんだ。まるで廃人みたいに」
ヒロは苦笑いしかできない。
***
205 号室、船室に戻る。金は思ったほど使えなかったが、後々のために残しておくのも良いだろう。
ベッドからは2人の寝息が聞こえてくる。長い1日だった。ヒロは早速ベッドに潜りこんで眠りに就いた。
(#24 I 10.04.29)
夜が明けて、6時。真っ先に目を覚ましたミユは、船室の窓から外を眺めてみた。
すると、アサギシティと思われる街並みは意外とすぐそばまで迫っていた。
確か、アサギ港に到着するのは7時だったはず――風や潮の流れの関係で、早く進みすぎてしまったのだろう、船は港を目の前にしてしばし停泊している。
「あれが、アサギシティ……」
ミユは奇妙な気持になった。ヒロやスピナと旅を始めてから1日も経っていないのに、もう何ヶ月も一緒にいる気分だ。
それでいて、目の前にある街並みはわが故郷、ミナモシティではないかと思ってしまう。
―― 旅なんて、冒険なんて、そんなものか。答えの無いことを考えても無駄だというふうに、小さくため息をついた。
それから30分ほどして、船が再び動き出した。
7時、船がアサギ港に入ったときには、ヒロもすっかり目を覚まし、身支度を済ませていた。
「ほら、いつまで寝てるんだ。海に投げ捨てるぞ」
訳の分からない寝言をつぶやいているスピナをたたき起こして、3人はいそいそと出口に向かう。
この後乗る予定のクチバ行きの船は9時出航である。それまでに港の食堂で朝食を済ませなければならないのだ。
人ごみを掻き分けていると、ひときわ背の高い白衣の男――ファインの姿が目に映った。
ファインはこちらに気付かないようだったが、3人はそれぞれ違った思いで彼を見ていた。
ヒロは、貴重な薬を取り返してくれた恩人として。
スピナは、自分の連勝記録を見事に止めた凄腕のトレーナーとして。
ミユは、肩にぶつかって何も言わずに立ち去っていった、無愛想な嫌な男として。
「さすがジョウト地方、賑わい方が半端じゃないね。このまま観光したいぐらいだ」
「じゃあ1人でするか? 俺とミユは先に9時の船でクチバに行くから」
「相変わらず冗談きついなあヒロ先輩」
港の活気で完全に覚醒したスピナは、いつも以上にはしゃいでいた。
そのとき、緊急連絡のアナウンスの声が港全体に響いた。
「2番ゲートから、9時出航予定の『シーギャロップ12号 クチバ行き』は、エンジントラブルのため出航を延期いたします。
乗船を予定していたお客様は、今すぐインフォメーションセンターで手続きをお願いいたします」
ヒロは我が耳を疑った。出航2時間前にもなってエンジントラブルとはどういうことか。
そしてミユは、昨日船の中で見た号外を思い出す――これも、もしかしたら何らかの事件ではないのか。
その中で一人嬉しそうな顔をしているのがスピナである。
「ま、とにかくこれで今日は観光を」
ミユの肘鉄が、スピナにクリーンヒットした。
(#25 W 10.04.30)
どうやら他にもクチバ行きの船に乗る予定だった客は多かったようで、あちこちから不安とイラつきの声が聞こえてきた。
そんな人々を眺め歩きながら、今からどうしようか、3人は改めて計画を練ることにした。元は親の計画だけれど。
「さっき延期って言ってたけど今日中には出発するよねー?」
スピナは立ち直りが早い奴だ。それともミユの肘鉄が甘かったのか。
「分からない。それよりも、さっき放送で何か言ってなかった?
乗船を予定していたお客様はなんとかかんとか……なんだったっけ」
さきほどの放送は聞いていたものの、「延期」の言葉を聞いた人々のどよめきでヒロは後の言葉が聞き取れずにいた。
「聞いてなかった」とミユ。
「僕も」続いてスピナ。
「インフォメーションセンターで手続きを、だよ」
「ああ、そう言ってたのか。じゃあそのセンターに行こうか」
ヒロは歩き出そうとしたが、すぐに硬直した。何だ今の流れ。
ミユとスピナも硬直し、その人を見て言い放った。
「誰?」
(#26 N 10.05.02)
「ちなみに船の出航時刻は、俺が来たからにはそう遅れはとらないよ」
男は黒のトレンチコートを着て、灰色のハンチング帽を被っている。衣服はどれも埃っぽい。また顎に残る無精髭が、男の不潔感を露わにしていた。
だが男の目は眼光が鋭く、睨まれた人は必ず居竦められた。現に3人は彼の蛇のような視線にあうと、一瞬身動きがとれなくなった。
「しかし君たちはとても親に似ているね。瓜二つといってもいい」
「……あの、あなたは誰なんですか?」
ヒロが勇気をもって繰り返しそう言うと、男はさも満足気に笑った。
「俺はイコス。国際警察の者だ」
男は懐から警察手帳を取り出した。手帳表面にはおごそかな黄金色のマークが刻まれていて、
手帳を開くとそこには男の氏名――名はイコスとある――と階級が、日本語と外国語で併記されている。
触ってみるか、とイコスが言ったが3人は拒否した。それは疑いようもない、本物の警察手帳に見えたからだ。
「じつは最近、全国各所で船の爆発事故が多発していてな。中には洒落にならんものもある。
で、俺はこのシーギャロップ12号の調査と警備にあてられたんだ」
ミユは再び、昨日の号外を思い出した。が、あれと似たような事故が多発している? しかも洒落にならないものもいくつかあるらしい。
ミユは首を傾げた。そんな事件、聞いたことがない。
「あまり表沙汰にはなっていなかったんだ。だが昨日の、知っているだろ?
ホウエンからカントー行きの船が沈没しかけたという爆発事故。いまアサギはその話題で持ちきりになっているよ」
ヒロとスピナはその事故のことを知らないので、ぽかんとしていた。後で教えてあげるって。
「だがここに来てみると、インフォメーションセンターもまるで神経症だな。
エンジントラブルとは言っているが実際、動力室に爆発物が積まれていただけなのに」
―― それは十分、エンジントラブルと言えるんじゃないか?
間をおいてイコスは自分の失態に気づいたか、しまった、という顔をして、
「すまない! 今のことは忘れてくれ機密事項なんだ。
おっともう時間がないそれじゃあねばいばい」
イコスは足早にシーギャロップ 12号のある2番ゲートに向かっていく。
(#27 I 10.05.02)
「あのうインフォメーションセンターとかより僕おなかのほうが空いてしまいましてですね」
「うっさい行くぞ」
「ぐわー、しぬー」
インフォメーションセンターはヒロ達がいる船着き場からすぐ近くに位置しており、
先に事を済ませてから出航時間までゆったりと海の幸を堪能したい、というのがヒロの考えだった。
先輩という権威を行使して、ぶつくさ文句をたれているスピナの手首を引っ張り、インフォメーションセンターへと向かう。
ちなみにミユは着いてきてはいたが、髪をとかす時間が無かったのか、それとも寝起きが悪いのか、
とても怖い顔をしていて話しかけられる余裕が無かったので余り触れないでおいた。
一分程歩いていると、潮風のせいで焦げ茶色に錆びたインフォメーションセンターの看板を掲げた建物が見えてくる。
しかし、その建物の入り口に百数十人ほどの長蛇の列も見えた。先の事故のせいで延期になった船はジョウト発カントー行きの船だけでは無いため、
その他の船に乗るはずの人達もインフォメーションセンターに出発時刻の確認をしにきているのだろう。
列の距離と人の進む速度から推測するに、三十分以上の待ち時間は覚悟しておかなければならないと見た。するとスピナが話しかけてくる。
「うわああんなに人が並んでるや、これじゃあ相当時間がかかりそうだなー。この並ぶ時間をご飯の時間にすればなかなか効率的だとは思うんだけどなー。
きっとヒロさんやミユさんもお腹すいてるだろうしなー」
こいつ足下見やがってッ――が、腹が減っているのも事実だし、ヒロのほうも先に朝食を済ませたほうがいいかもしれないと考えていた。
予定を変更するというのはヒロの性分が許さなかったが、今日だけはしぶしぶ変えることにした。
(#28 B 10.05.02)
「お待たせしました。こちら蟹の地獄焼きになります。鉄板の方熱くなっておりますのでお気をつけ下さい。」
そう言いながらウェイターがテーブルに置いた鉄板の上では、巨大な蟹が熱さにもがいていた。
もちろん注文したのはスピナである。
「うわあ、残酷」と目を覆うのはミユ。ヒロはヒロで何やら「助けてやれなくて、ごめん」とか言っていた。
当のスピナは、行儀よく両手を合わせて「いただきます」と言うと早速蟹に箸を伸ばしジタバタしている蟹の足を―――。
15分後、三人のテーブルには文字通り骨抜きにされてしまった蟹の殻と、手付かずの料理が二品残っていた。
(#29 K 10.05.02)
「だいたい、なんで朝っぱらからあんな残酷なの食べなきゃいけないの」
ヒロが3人分の支払いを済ませている間、ミユはスピナに不満をぶつけまくっていた。
「いやだって食べたいと思ったから食べるのは当然であって」
「そりゃそうかもしんないけどさ、ヒロが猫舌なの知らないわけ無いでしょ?」
あ、そういえばそうだった――白々しく答えたスピナに肘鉄を食らわそうとするが避けられてしまった。余計に腹立たしい。
「しかもあれ安くないでしょ。お金に余裕がないのわかんなかった? だからあたしは遠慮してミニチャーハンひとつだったのに」
「あ、道理で食べてるときも変な雰囲気――」
殺気を感じたスピナは一目散に店を飛び出した。ちょうど、ヒロが清算を終えて戻ってきた。
「おお、スピナのやつ、またなんかやったのか」
「……ヒロがお金使ってなくてほんとに助かった」
食堂でひと悶着あった後、3人は改めてインフォメーションセンターを目指した。
あれから30分近く経っているからいくらか混雑は緩和されているだろう。
しかし、目的地に近づくにつれて、なにやら異様な空気が高まっていく。
そう、気付いてみれば――周りはまるでテレビドラマに出てくるような黒いコートの、刑事風の男ばかりだった。
そしてその真ん中に立って指揮をしているらしい人物は、まぎれもなくさっきすれ違ったイコスであった。
「おお、ああしてみると結構かっこいいな」
「そんなこと言ってる場合か。早く行くぞ」
しかし間もなく、3人は手続きを断念せざるを得なくなる。インフォメーションセンターの周りは、「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープが張り巡らされていた。
――ほら、子供はどいた、どいた。黒いコートの一人にはねのけられる。手続きを済ませたい、といくら抗弁しても、今はダメだの一点張りである。
仕方なく3人は撤退した。それでも、港中に飛び交う喧騒の中で、「インフォメーションセンターでも爆弾が見つかった」というのだけは聞こえた。
(#30 W 10.05.02)
イコスは煙草に火をつけた。
彼は事件の推理に行き詰ったとき、こうして煙草を吸った。煙を吐く。困っていない、と言えば嘘になる。
岸に近い海面は、春の海藻の淡い緑色に染まっていた。南のうずまき島から、穏やかな風が絶えず港に吹いてくるので、考えごとをするのにちょうど良い。
春のアサギはやはり良いところである。イコスは仕事柄たくさんの海を行ったが、やはり生まれ故郷のアサギの海は、それらとは比べ物にならないほど良かった。
子供たちに遅れはとらない、と約束した手前、面目は保たなければならない。
イコスは船乗りに、船の動力室まで案内されると、そこで木々のように群生している発電装置のひとつに、ビリリダマがぎっしりと貼りついているのを見た。
その数はおよそ十数匹というところか。発電装置はビリリダマの紅白色で染まっていた。
一触即発、とはまさにこういうことを言うのだろう。ビリリダマは部屋に入ってきた警察たちの姿を見るなり、ギロリと彼らを睨みつけた。
『近づいてみろ。近づいたら、爆発してやるからな』
これを面白く思わなかったのがイコスの上司だ。少々痛い目を見せてやれ、イコス。だが発電装置は壊すなよ。
イコスは上司の命令に従い、5分とかからずビリリダマ全員を瀕死状態に追いやった。どれも爆発する前に気絶させてしまった。発電装置には傷ひとつつかなかった。
こうして無事仕事を終えたイコスたちが、インフォメーションセンターの職員たちに仕事終了の報告へ行ったときだった。
イコスの部下の手持ちポケモンであるガーディが突然、狂ったように吠え始めたのだ。ガーディの目はインフォメーションセンターの裏口のほうを向いている。
イコスたちも、またセンターに長蛇の列をつくる乗客たちも不思議がって、ガーディの視線の先に目をやった。
嫌な予感だった。
***
インフォメーションセンターにあった爆弾は、ビリリダマなどといったチャチなものとは違い、本格的な爆弾だった。
乱雑に鎖が巻きつけられた金属の箱で、ふたの隙間から赤や青のコードが飛び出ている。
イコスはピッキングの才能もあって爆弾処理については少しかじっていたのだが、それでもこの爆弾をいじるのは危険だと判断した。
構造があまりにも難解なのだ。こればかりは爆発物処理班が来るのを待つしかないな、上司はそう言ってイコスの肩に手を置く。
イコスは潮風に吹かれながら考えていた。船の爆弾と、センターの爆弾。この2つの決定的違いは技術力である。
ビリリダマを使うような犯人に、あそこまで複雑な爆弾が作れるとは思えない。つまりイコスはこう考えた。
犯人は船の件と、センターの件とで別々に2人いるだろう、と。だが、彼らの目的が分からなかった。
「部長」
イコスの名を呼ぶ声がする。振り返ると、先のガーディの持ち主である部下がいた。
「あちらを……」
部下の指差す先を見ると、数人の男がセンターの前に集まってひそひそ話をしている。部下はイコスに耳打ちした。
「何やらあいつら、怪しげな話をしているのです。
このセンターの件は誰の仕業だとか、俺はやっていないとか、奴らの仕業か……とか」
「バカ、ほっとけ。そういうのは野次馬によくある厨ニ患者の類だよ」
イコスは部下のそれを、爆弾処理班の到来を待ちわびるあまり出た、暇潰しの話題としか思えなかった。
やっぱり、そうでしょうか? そう言って部下はすごすごと下がっていく。
イコスは煙草を消した。そして3人の子供たちのことを思った。彼らはまったく不幸だ。
ここの港はもうこの騒動が起こってしまったからには、しばらく船を出すことを禁じられるだろう。彼らはカントーに行くらしいが、これからどうするつもりなんだろう?
(#31 I 10.05.03)
「訊いてきた。カントー行きの船は出さないって。手続きを済ませた人でも船は出せないとか」
そう言って、ヒロは目の前にあったイスに腰掛けた。隣には既にスピナが座っている。
ヒロは船員に出港の予定を尋ねにいったのだ。船が出ないことを聞き、ミユもスピナもため息をつく。
が、ここで思った。「カントーからじゃなくても、ジョウトから旅してもいいのでは」と。
出発前、アミダが「カントーのトレーナーはレベルが高いから」と言っていた。
今ここには駆け出しトレーナーの餓鬼が3人。
レベルの高い方からではなく、やはり初心者としてジョウトから初めても問題はないはず。
むしろいきなりカントーから行っちゃうほうが問題なんじゃ……。
「よし、予定変更。ジョウトから旅します」
ミユはヒロとスピナを引っ張り上げて立ち上がらせる。
「船もいつ出るか分からないし……うん、そうしよう」
立ち止まっているわけにもいかないだろうから。
(#32 N 10.05.07)
「部長、爆発物処理班は後3分程度で到着するとの連絡が入りました」
「そうか、分かった。それで住民の避難状況のほうはどうなったんだ」
「はい、住民が少ないことも幸いし、アサギシティ内の住民は概ね避難したそうです。
一部の高齢者等はは救助隊が付き添いでアサギ郊外にある公民館に避難させるとのこと。
又救助が完了し次第早急に周囲500メートルを完全に封鎖する予定です」
「報告ありがとう。君は持ち場に戻ってくれ」
中々大きな事件になってしまったな、とイコスは苦虫を噛んだような険しい表情をする。
インフォメーションセンター内に仕掛けられた爆弾は規模が分からず、
また時限爆弾などの可能性もありいつ爆発するか分からないため、警察もインフォメーションセンターから離れた場所での待機を命じられている。
アサギシティ全域で住民を避難させ、また犯人が近くにいる可能性もあり今のところ警察が百余人体勢でアサギシティを隈なく捜索している。
これは今日の夕刊一面に載るのは間違い無いだろう。
とりあえず証拠を集めようにも爆弾が解除されない限り現場に近づくことさえ出来ず、
そして今すぐにでも犯人が証拠隠滅などのために爆弾を爆発させることも考えられるので、現場にはピリピリとした緊張が張り詰めていた。
イコスもその緊張に呑まれそうになっている一人であり、部下の前ではなるべく毅然な態度を取ってはいるが、やはり怖いものは怖いものだ。
昔、すぐ傍でマルマインが大爆発を起こしたときを思い出す。
あの時は本気で死を覚悟した、どうやらあの爆発の記憶が心のどこかでトラウマとなってしまっているらしい。
体は正直、とは言ったもので、心を落ち着かせるために吸っているタバコがそろそろ一箱無くなってしまいそうになっていた。
マルマインといえば――新しい煙草を一本手に取り、ふとグラップタウンで一緒に行動した彼らの子供達のことが頭に浮かぶ。
そういえば彼らは無事に避難しただろうか。
カントーに行くと言っていたが、しばらくのジョウトでの滞在を余儀なくされてしまったのは、
事件を先に食い止められなかった自分達の責任もあるかもしれないと心の中で自分を省みる。
またそのついでにベカはまあいいとしてアミダやウィーナからケチをつけられないことも祈っておいた。
それより一番気にかかっているのが犯人のことだ、一体何故、誰が、何のためにこんなことをするのか。
単なる愉快犯だとしたらせいぜい脅迫状を送りつけるぐらいのもので、こんな爆弾を作る奴はいないだろう。
では船に何らかの恨みを持っている団体などの犯行だろうか、だがしかし、そんな団体は存在するのか?
仮に存在したとしたら一体どれほどの規模のグループがこんな大々的に爆弾テロなど出来るのだろうか。
考えれば考えるほど話は混乱していく、部下から爆弾処理班が到着したとの知らせを受けて、イコスは煙草の火を携帯灰皿でもみ消した。
十時を回ってアサギシティが完全に封鎖されてしまい街を追い出された三人は、仕方なく街を出て北に進んでいたところ、道路の横に牧場を見つけた。
「モーモー牧場だって、ミルタンクがいっぱいいるな」
「あ、私牛乳飲めないパス」
「いいじゃんいいじゃん、取れたては美味しいっていうしさ」
ミユは「腹下すんだよ……」と不満そうに呟いていたが、スピナが一人で勝手に牧場へと入ってしまったため、仕方なくしぶしぶとヒロと共にスピナの後を追った。
牧場にある小屋の開いたドアから「美味しいモーモーミルク、ごっくんしてください」という声が聞こえてきて、
その後にスピナらしき「喜んで!」という声が聞こえてきたので、ミユの中でもっとスピナが信頼出来なくなっていた。
(#33 B 10.05.07)
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