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 長い石段を登りつめると、物寂れた静かな門があった。門前には紺の着物を着くずした小僧が箒を掃いている。
 マツバは懐から数枚の和紙を取り出して、その小僧に声をかけた。和紙には墨の達筆な字が綴られている。
 小僧はそれを見ると落ち着いた所作で箒を門柱にかけて、老師を呼んでくる、と言った。

「ここはスリバチ山へ行くための関所で、三聖獣を祀る神社でもある。ここを通るには僕の書状が必要なんだ」

 マツバたちは門をくぐった。門の先には平坦な石畳が伸びていて、それは拝殿に続いている。
 石畳の色が違って見えるのは、木かげを漏れる陽射しの色だ。この境内の空は鬱蒼とした枝葉に覆われていた。
 妙な場所に神社を建てたものだね、とミユはひとりごちた。

「言い伝えによると、三聖獣はここからエンジュを発ったということらしい」
「三聖獣ってなあに」

 ミユは甘い声でマツバに問いかける。マツバは心底嫌そうな作り笑いを浮かべて、3人を拝殿の前へ導いた。
 静かな賽銭箱を後目に見て、拝殿の中を指差す。中を覗いてごらん、とマツバ。
 3人がおそるおそる障子の隙間から中を覗くと、3体の狛犬が台座の上にでんと坐っているのが見えた。
 狛犬には金網がかけられていて、どれもけばけばしい朱色をしている。

「右からエンテイ、スイクン、ライコウ。この町に伝わる伝説のポケモンだ」

 マツバがそこまで言ったところで、先の小僧が戻ってきた。小僧は拝殿の中を覗くヒロたちを怪訝な眼差しで見つめ、老師を呼んできた、と言った。
 見ると小僧の背後に頬がこけ、目の落ち窪んだ猿のような老人の姿があった。肌は粉っぽく、寒々しそうに着物を羽織っている。
 顎髭を伸ばしているらしいが、それは薄く短いので、威厳は感じられない。老師と呼ぶよりはむしろ世捨て人だろう、とヒロは思った。

「準備は整っておる」
 老師はそう言って、枯れた笹の葉でくるんだおにぎりをヒロに手渡した。
「さて、ヒロ君。さっき具体的にどうやって強くなるのか、と訊いてくれたよね」
 マツバたちは拝殿の裏手へ回った。すると陰鬱と繁った木々の間にぽっかりと道が開けているのが見えた。
 道の先にはトンネルのような、真暗な洞穴がひかえている。まさか、とヒロは手渡された笹の葉の包みを握った。

「君たちには1週間、あの洞窟の中で山篭りをしてもらう」

 驚きの声をあげたのはミユとスピナだ。とりわけ、ミユの声は大きかった。理由は言わずもがなである。

「スリバチ山は水が豊富だ。探せば温泉も見つけられる。食料は必死で探さないと見つからないだろうけどね。
 僕らからの食料はそのおにぎりのみ。ポケモンも合わせれば一食分にも満たないだろうから、すぐ探し始めなさい。
 ちなみに、もし君たちがこれで野垂れ死にをしようものなら、僕はそれまでのものだったと思って諦める」

 着物を着くずした小僧が、今度は大きな鉄板を引いてやって来た。鉄板はちょっとやそっとでは凹みそうもないぐらい厚い。
 小僧の細い腕では、それを引っ張るので精一杯らしかった。それは小僧の懸命な表情で分かった。鉄板の引かれた跡には落ち葉や砂の除かれた新たな道が生まれていく。
 まさかそれを入り口に立てかけるというんじゃないだろうな……。ヒロたちは目の前で行われている非現実的な状況に、言葉もなかった。     (#47 I 10.07.29)



暫しの静寂の後、ヒロが口火を切った。     (#48 K 10.08.05)



「別行動だ」

 なんだって? スピナとミユが聞き返す。するとヒロは二人のほうに向き直り、もう一度、はっきりと言った。
「別行動だよ。これから一週間の山籠り、三人別行動でいこうと思うんだけど」
 ――二人は唖然とした。こいつは頭がイカれちまったのか。
「やっぱり一人一人が強くならなきゃダメな気がする。三人一緒だと、どこか気を遣ったり、遠慮しちゃったりすると思うんだ」
 特にミユは、女の子だし、ということは言わないで置いた。
「それに、よく考えたらバカなことを言ったもんだよね。
 まだまだ未熟どころのレベルじゃないのに、マツバさんに『一緒に強くなりたい』なんて。そしたら、この試練も当然なんじゃないかな?」
 この言葉に、ミユが少し眉をひそめる。自分の「王子様」を傷つけられた気がした。

「いやあのね、ヒロ先輩のご高説中に申し訳ないんだけどね、それは今自分で考えたのかい?」
 話が途切れたすきに、スピナが敬語なのかどうかよくわからない言葉遣いでヒロに質問した。彼の回答は、いたって明快だった。
「わかんない。マツバさんに、そう言われた気がした」

「じゃあ、一週間後のこの時間に、ここに集合。元気でな」
三人は互いに背を向け、山の奥に入っていった。
「一週間後に誰か欠けてたら、探しに来てくれんのかな」 ミユがため息をついた。

  * * *

 すっかり日が暮れていた。提灯の光で赤く照らされた歌舞練場の前に、ファインとさっきの舞妓がいた。
「あれでよかったんどすか?」
「ああ、上々だよ。わざわざありがとう。おかげでちょっと時間が稼げたよ」
 雷の石は、なかなかの賭けだったけどね――と、ファインが苦笑いする。
「でも、そんなに気になりはるんでしたら、ご自分で面倒を見てあげたら――」
「いや、そうしたいのはやまやまだけどね……まだ、表に出るわけにはいかない」
 そのとき、ファインの携帯が鳴った。じゃあ失礼、と一声かけて、彼は観光客の波に吸い込まれるようにして消えていった。     (#49 W 10.08.12)



「なあアチャモよ」

「チャモー」

「ヒロの手持ちポケモンってコイキングだけじゃん」

「チャモー」

「個人行動で大丈夫なのかな。やっぱ頭イカれちゃったのかもよ」

「チャモー」


 ヒロは、洞窟の壁に背を掛けて瞼を押さえていた。所謂、後悔をしていた。

 二人と別れてからはっと気付いたことだが、ヒロの手持ちはコイキングだけであって、しかも技は「はねる」しか知らない奴なのだ。
 たいあたりすら無い。もし洞窟に住むゴローンとか、ゴローニャとか、そんなのに出会ってしまったらどうなるだろうか、冗談抜きで命の危険性がある。

 自分の心の呵責が痛いほど染みる。
 だがしかし、ここでまた二人に「ごめんごめんさっきの無し、みんなで行こう」なんて言うのは、年上というプライドが許すわけないのである。
 ああ困った、おお困ったと一人で嗟嘆する。

 食糧はどれくらいあるのか、と手に握られているおにぎりを見る。
 ご丁寧に笹の葉に包まれているそのおにぎりを展開してみると、周りの笹の葉で体積が増えていただけだったらしく、おにぎり本体は残念なほどに小さかった。
 手のひらサイズというやつである。「ああー……」嘆きの余り今度は声が出た。

 今度は洞窟の先を見る。だが見るもなにも、ここより先には光が差し込んでおらず、何があるのか全く見えない。両壁を手で伝っていかなければいけないようだ。
 アニメとかだとこういう洞窟の先には必ず光が差し込んでいるポイントがあってそこに宝剣みたいなのがある展開なのだが、
 はたしてこんな観光地の山の地下にそんなものが存在するのだろうか。

 すぐ先の未来を危惧するが、残念ながらプライド高いヒロにとっては無難とプライドを天秤にかけるとプライドのほうが重いのだ。
 悲しい性であって、今更引き返すことは出来ないのである。
 第一こうなったのは変な声の所為で、とか責任転嫁の呪文をブツブツ唱えながら壁に手のひらをあててゆっくり、一歩ずつ歩き始めた。     (#50 B 10.08.12)



 マツバの馬鹿野郎! ミユは声を張り上げて、そう叫ぶ。声は壁をつたい、まるで自分の声とは思えないほど、くぐもった音となって反響していく。
 それが実に愉快で、もう何度か同じように叫ぶとスピナの「いい加減にしろ」という声が聞こえてきた。
 ミユはマツバにすっかり幻滅していた。あれほど執心していたというのに、マツバの冷酷たる一面を見てしまうと、あっさりと態度を翻してしまう。
 ミユは自分の尻の軽さを恥じた。だが、こうしてその惨めさを跳ね返してしまうあたり、ミユらしい。

 スピナから灯りを貰ったのは正解だった。チコリータの作る頑丈な蔓草を松明のようにして、その火を絶やさなければ良いのだ。
 おかげで周囲の様子がよく分かる。ミユは松明を照らした。しばらくは狭く、長い道が続くようである。
 天井には水滴が滴っていて、肩に冷たい雫のかかることがあった。
 スリバチ山は修行にも最適、というだけあって、血気盛んな野生ポケモンがよく現れた。
 主にミユの前に飛び出してくる野生ポケモンはゴローン、ゴルバット、ゴーリキー……。

「どれも可愛くない」

 ミユは取り出しかけていたモンスターボールを、バッグにしまった。しかし頭文字にゴが続くとは、不思議なものだね?

   ***

 やがてミユたちは開けた場所に出た。目前には透き通った川が流れていて、それはあるポイントを過ぎると滝となり、更に洞窟の地下深くへと流れ落ちていく。
 その鬼気迫る凄まじい音は、無音の世界にいたミユをいささか安心させた。
 ミユは頭上に松明を照らしてみたが、暗闇はあまりに深く、天井まで光が届かない。ミユは洞窟の深さを実感する。

「とりあえず食料を探さなきゃ」
「チコー」

 ヒロに配られたおにぎりをチコリーダに与える。ミユは空腹には耐えられるほうだ。いや、むしろ、空腹という感覚を味わったことがないと言っても良いかも知れない。
 たしかに空腹で何か食べたいという食欲はあるが、そこに生命の危険を感じることはなかった。だから今から始めんとするこの食料探しも、本質的にはチコリータのためであった。

 ふとミユは川の対岸に人影を見たような気がした。だがおにぎりを頬張るチコリータが可愛くて、あまり気にしなかった。     (#51 I 10.08.12)



 一方、スピナ。
 先程はどこかからミユの声で「マツバの馬鹿野郎!」と何度もうるさかったものだから、うっかりいい加減にしろなんて言ってしまった。
 が、ちゃんとやめてくれたついでにクックと笑い声が聞こえてきた。ミユの頭も大丈夫だろうか。

 手についたご飯粒を口に含み、ゆっくり噛みながらアチャモを見る。実はおにぎりの3分の2はアチャモに食べられてしまったのだ。
 火炎放射でもぶっぱなされそうな顔でつついてこられたらそりゃ譲るしかないですよ。
 しかし手のひらサイズほどのおにぎり3分の1では胃袋が満たされるはずもない。
「食料、探そっか」
 アチャモはくりくりとした瞳でスピナを見つめた。

 少しずつ歩きながら奥へと進んでいく。入ってすぐにあった水辺はこの付近には無いようだ。まだ春になりかけ、という時期だが、湿気の多い場所は暑い。
 左にも右にも道は続いている。すこし悩んで、右へと足を向ける。後ろからちょこちょこと付いてくるアチャモがとてつもなく可愛い。
 割と攻撃的で言う事聞かないような面もあるけどやっぱり可愛いもんは可愛いよね。とか考えながら歩いてたら遠くに人影が見えた。

 トレーナーだろうか。いやいや。一般人が通れる入口から来たならともかく、マツバの許しが無いと入れないような場所から入ってきたのだからそれはない。
 それともやはり普通の入り口から入って長いこと山篭りしてる人だろうか……。改めて人影を確認しようとしたが、既にその姿は無かった。

 そうだ、今優先すべきは食料探しだ。人の事構っている暇はない。再び歩き出すと足元からガリッという音が響いた。
 石ころ踏んだにしてはいままでと違う感触……足を上げてみると、包みに入った飴が落ちていた。     (#52 N 10.08.13)



「飴……? うん、確かにこれは不思議な飴だ。スピナ君の観察眼は確かにそう言っている」
 周りに誰もいないので少し恰好つけてみた。そのまま足元のアチャモをちらりと見やると、彼はあたりをきょろきょろ見回しているだけだった。
「無視はないでしょー」
 スピナは少しむなしくなった。
 それより、この飴をどうしようか? 足で踏んづけはしたが、包み紙のおかげで少し欠けただけで済んでいるようだ。
 レベルも上がるし、序盤の食糧としては絶好だが――
「……ま、取っといてやろうか」
 たまに現れる奇跡的な良心が、スピナを思いとどまらせた。今一番レベルを上げなければならないのは、言うまでもなくヒロのコイキングである。
 いくらなんでもそれを差し置いて、というわけにはいかない。
 ただし、この良心があと一週間持続すれば、の話だが。

 さてそのヒロとコイキングだが、まずは一週間耐えしのげる住処として、川の近くの小さな洞穴を選んだ。
 そして、食糧を探しに行く前に、洞穴の前の川にコイキングを放してみた。
 予想以上に流れは早いのだが、それをものともせず悠々と川を泳いでいる。
「……なるほど、これじゃあどこででも生息できるわけだよ」
 ギャラドスに進化するパワーも、意外とこの辺にあるのかもしれない。
「でもなあ、どうやって育てりゃいいんだよ」
 レベル15になってようやく「たいあたり」を覚える程度だ。どう頑張っても、戦力にはならない。
 例の赤い薬を使うことも考えたが、その度に、なぜかやってはいけないような気分になる。
 どうしてそう思うのかはわからない。ただ、それがマツバの念力よりももっと強い何かであることだけは確信できた。

「あ、もうこんな時間か」
 いろいろな考えを巡らせているうちに、すでに空は薄暗くなっていた。
「じゃあ、いくよ、コイキング……」
 スピナからもらった松明を手に取り、コイキングをボールに収めようとした瞬間、ヒロは人影を見た。
 小川の向こう岸の、岩陰。光の中に一瞬浮かび上がったそれは、小柄ですばしこく、すぐ闇に消えてしまった。
 スピナでもミユでもない。マツバでもないし、そしてファインでもない。
 牧場で襲ってきた黒い鎧の男が頭に浮かんだが、奴らは総じて大柄だし、それに鎧なら光を反射するはずだ。

 じゃあ誰なのか?

 そんな得体のしれないものは放っておいて食糧を探すのが第一であるに決まっているのだが、
 厄介なことにヒロの好奇心スイッチがオンになってしまった。確かめずには、いられない。     (#53 W 10.08.15)



「……チコ!」
「うん? チコリータ、どうしたの?」
 チコリータがふと何かに反応を示した。しかし周りには特に何も無い。何か音でも聞こえたのだろうか。ミユは耳をすましてみる。

 ザリ…… ザリ……

 地面を踏みしめる……足音?近くに誰かいる?そういえばさっき人影をちらっと見た気がするなあ。もしかするとヒロかスピナが付近にいるのだろう。
 足音はすぐ近くの通り穴から聞こえてくる。ここで普通に合流するのもつまらない。ちっと驚かしてやるか。

「……! ……ー!」

 少しずつ声も聞こえてきた。滝の音が大きくてまだ誰の声か分かりづらいが、この穴から出てくる頃には分かるだろう。

 ザリ…… ザリ……
 ザリ……

 今だ!

「わあああああああ!!」
「うわあああああああああああああああああああ!!!!」
 洞窟に幼い叫び声が反響する。見ると、明らかにヒロやスピナよりも背丈の低い少年が尻餅をついていた。半袖短パン、体のあちこちが土で汚れている。
「え……あ……」
 当然、少年は驚いた表情で呆然としている。知らない人に突然こんなことされたら驚かないはずが無い。
「ご、ごめん。人違いでした!」
 ミユは慌ててその場から退散、――とはいかなかった。少年がとっさにミユの服の裾を引っ張ってきたのだ。
「ちょ、ちょっと、離してよ。」
 だが、少年は一向に離そうとしない。仕方なく無理やり手を離れさせようとしたが、今度は両手でガッチリと掴んできた。これでは離すのも困難だ。一体何なんだ?

 数分経ったが、歩き回っていても少年は無言でうつむいたまま離そうとしない。少しイライラしたが、落ち着いて冷静になってみる。
 おかしい。見た目だけでも 6歳ほどの少年が、何故こんな所にいるのだろう。改めて少年を見てみるが、食料どころかポケモンだって持っていない。手ぶらだ。
 もし自分たち3人と同じように修行でもしに山に入ったにしても、こんな小さい子、しかもポケモンも無しに入るなんて有り得ない。本当に、何故こんな所に……。

「ねえ」
「あっ、はい」
 少年が突然話しかけてきた。ミユは思わずすっとんきょうな声で返事をする。
「な、何か?」正直早く裾から手を離して欲しいがここは話を聞いてやろう。
「あのね、探してるものがあるの。お姉ちゃん、いっしょに探してくれないかな」
「えぇ……」
 心底、今はチコリータの為に(もちろん自分にも)食料を探してやりたいし、他人が困っているのを助けられるほどの余裕はない。
 何せ一週間もこの山にいなければいけないのだ。流石に我慢していたら餓死してしまう。しかし……
「お願い、とっても大事なもので……」
 ぽた、ぽた、と少年の頬から雫が落ちる。ああ、こんなに頼まれて断ったら良心が痛みすぎて死ぬかもしれない……。
 ミユは少年の頼みを聞くことにした。     (#54 N 10.08.15)



 マツバは拝殿の縁側に胡坐をかいた。春宵一刻値千金というが、まだ春を感じるにはちょっと寒い。
 山の稜線を目で辿るが、月は低く垂れた暗雲に隠れてしまっている。ヒロたちが修行を終えてスリバチ山から出てくるころには、花も咲くだろうか。
  3人が洞窟に入るとき、マツバは「野垂れ死にをしようものなら、それまでのものだったと思って諦める」と言ったが、あれはまっかな嘘だ。
 思わず口をついて出た出鱈目に、マツバはつい苦笑してしまう。
 マツバは彼らが崖から落ちたり、川に流されたりして死なないように、洞窟中にゴーストタイプのポケモンを配備していた。
 また、食料を確保できず飢えてしまわないように"不思議な飴"を各所にばらまいてもいた。まさに至れり尽くせりの修行である。
 さらに3人がいるのは一般開放された入り口からは辿りつけない、スリバチ山の秘境と言われる場所だから、他者との接触もなかろう。

 小僧は夜の買出しに出たといって、留守にしていた。マツバは老師に問いかけた。

「ところで老師。僕が関所に帰ってきたとき、ここには誰もいませんでしたね」
 老師は座布団を持ってきて、マツバの隣に座った。
「そうじゃな」
「何かあったのですか?」

 老師はこれを言うべきか迷うような、困った顔をする。しばらくして林のヨルノズクたちが鳴き始めると、口を開いた。

「スリバチ山に侵入者があったのじゃ」
 老師が言うには朝方、5、6歳ぐらいの男の子が洞窟に入っていったのに気がついたらしい。
 神経を集中させると他にも何人か、老師に気づかれず中に入ることに成功した者たちがいた。
 老師はすぐさまその者たちの捜索にあたったが(老師も千里眼を持っている)、どうも見つからない。
 老師の千里眼で見つからないのなら、マツバに見つけられるはずがなかった。老師は心配で眠れない、と言う。
 マツバは僕が洞窟中にゴーストを張り巡らせているから大丈夫だと言った。が、老師は首を振った。
「そればかりではない」
 老師は続ける。

「お主は"あの3人に死相が見えていた"ことに気づかなかったのか?」

 老師の真剣な眼差しがマツバに注がれる。マツバは慄然とした。死相だって?

「街にいたら遅くとも4、5日以内には"何者かに殺されていた"ところじゃった。
 お主が奴らを洞窟に入れたやったから、まだ首の皮一枚つながりそうじゃが……」

 マツバははっとする。頭に思い浮かぶのは他の誰でもない、ファインだ。
 ファインはこのことを知っていたのだろうか。それを知った上で、僕に修行を頼んだのか?

   ***

「ところで、君の名前は?」
「ドダイト!」
 ミユは思わずため息が出る。ファインにイコスに……今度はドダイトと来た。変な名前は続くものだ。
「それでドダイト君は何を探しているんだろう」

 ドダイトは、これ以上は空気的にも物語を進展できない、というように微笑んだ。     (#55 I 10.08.15)



 つい先ほど見知らぬ男から「ほらよ、松明だ」と言われて、ヒロは赤色を灯した松明を受け取っていた。

 幼子が誰なのかという探究心は存分に満ち溢れていてよろしいが、松明を与えてくれた男を誰何するのは絶対駄目だ、
 と例のマツバさんっぽい声が超必死に囁いてくるのでヒロは曖昧なままに松明のことは忘れることにしたのだった。



 洞窟の中に草木が生い茂っていて、まるで森のようだとヒロはそのシュールな画に感心していた。
 近くには小川がさらさらと流れていて、松明の仄かな光を水面で反射しているのも趣があるなあとこれにもまた陶酔していた。

 そうして緑と水(とコイキング)の調和を愉しんでいるヒロの前に、例の幼子が現れたのだった。
 彼(彼女?)は小川の上流のほうへと向かって素早く走り去っていった。ここでヒロの好奇心はメーター振り切り状態である。

 当然ヒロは彼を追いかけることに決めた。彼が川に沿って走っているという確証はないものの、
 やみくもにこの広い洞窟を探し回っても無駄足になる可能性が高い、それならより確率の高いほうへ。
 ということで、ヒロは死んでいるように水に浮かぶコイキングをボールに戻し、川上へと走り始めた。

 川べりなので地面には小石が散乱していて走るたびにじゃりじゃりと音が鳴り、たまに小石というには大きい石が混じっていて、なんだか走りにくい場所だった。
 松明の光が弱く、地面に埋まっている石に気付かず足をひっかけて一度コケそうになったが、なんとかバランスを取り直す。

 1分ぐらいは走っただろうか、そろそろヒロの息が切れてきた。「限界近いかも……」胸の苦しさに、ヒロは最初の七割程度の速さでしか走れなくなっていた。
 全くあの餓鬼、どこまで逃げやがった。そう思ったときだった。

「わあああ!」
「うわああああああ!」

 突然、二人分の絶叫が洞窟内にこだました。一人の声はミユだと判断でき、もう一人は分からなかった。
 ヒロの推測ではあるが、ミユとあの少年が接触した後に第三者によって二人が襲われた可能性が高い。これは一大事と、ヒロはまた走る速度を速めた。

 そのまま走るうちに、砂利の音ではなく、水が落ちる音が聞こえはじめた。くぐもっているということはそれなりに大きな滝の音であろう。
 川に沿って走るのはここでお終いかとヒロは悔やんだ表情を見せたが、同時に松明が二人の人間の影を暗いながらも映し出した。
 髪型や体の輪郭から一人はミユであることが分かった。「おいミユ、大丈夫か!敵はどこにいった!?」ヒロはそう叫ぶ。
 森に現れた少年が恐れが混じった表情でミユの服の裾をしっかり掴んでいるのを見て、
 ヒロは「少年、大丈夫か。俺達が助けてやるから安心しろ」とか全く見当違いなことを言い出した。これには当然二人の表情は困惑気味である。

「ねえヒロ、大丈夫?脳内的な意味で」一人息を切らしているヒロに、ミユは呆然としながら話しかけた。



「つまりオマエは探し物をしにここに来ていると。はいまとめ終了」ヒロは数十センチ高の岩の上にあぐらをかいてドダイトに話しかけた。

 ゴキブリみたいにすばしっこいんだ。とか愚痴をぶつぶつ交えながらヒロは少年に尋ねた。

「で、そのオマエが探してるっていうのはなんなんだ?どこで落とした?」     (#56 B 10.08.15)



「携帯電話」

 ドタイトと名乗る少年は、ぶっきらぼうに答えた。
 ガキのくせに贅沢な――と思ったが口には出さず、ヒロはあくまで平穏に話しかける。
「なるほど、この洞窟の中で」
「うん」
「どこで落としたか心当たりは」
「ない」
 なんとも無愛想なやつだ。しかも目を合わせないではないか。最近の子供はここまでひねてしまったのか?
「ねえ、その携帯電話、見た目はどんな感じ? 色とか、形とか」
「色は真っ黒でね、折りたためるやつで、角が丸くて……そうだ、カメラもついてる」
「それ至って普通の――」
「いいじゃん」

 カチンときた。そしてヒロは確信した。こいつは、ただの女好きだ。
 もう放っといて食糧探しに戻ろうかとも思ったが、せっかく好奇心に導かれてきたのだから負けるわけにはいかない、とここでも妙なプライドが働いて耐えることにした。

 ――ああ、それにしても俺は子供が苦手だよなあ。

  ***

 42番道路。
 エンジュシティとチョウジタウンを結ぶ短い道路だが、道の両脇には木が生い茂り、
 スリバチ山内部から流れくる小川は山のふもとで一つになって池を作り、実にたくさんの種類のポケモンが生息している。
 その池のほとりに小さなテントが立っていた。ただでさえ人通りが少ない道のさらに奥の森の中なので、見つかる心配はないだろう。

 舞妓と別れてエンジュシティを出たファインが、テントの中でくつろいでいた。
 彼は、たびたび携帯電話を手に取って、考えを巡らす。その時だけ、表情は険しくなった。

 ちゃんと所定の位置に「落としてくれた」だろうか――山の中では連絡が取れないので、それだけが気がかりである。

 黒い鎧の集団は予想以上にジョウト中に広がっているらしい。表には出てきていないが、次にどこで現れるかわからない。
 そいつらをかわしつつ、かつ「薬」を狙うというのは、さすがのファインでも危険だ。そこで彼が目を付けたのが、長年の友であるマツバである。
 たびたびスリバチ山に若手のトレーナーを送り込んでいるという話は聞いていた。それを利用しようと考えたのだ。
 そして、そこにドタイトを侵入させる。手練れの彼にとっては、正面の入り口を封鎖されたって、岩場の隙間から洞窟に入ることぐらいはなんでもなかった。
 付け足しておけば、子供のような風貌だが、知識も体力も人並み以上の立派な19歳である。某名探偵みたいに子供になってしまったというわけではない。

「リミットは、一週間か」

 春の冷たい風が木々を揺らす。闇夜に広がる森のざわめきは、まるで猛獣のうなり声のようだった。     (#57 W 10.08.16)



 道はどこまでも黒洞々たる闇が続いていて、肌寒い。人肌が恋しくなる頃である。

 理由はどうあれ、ヒロとミユが一緒に行動していることを、スピナが知る由もなかった。
 ヒロが宣言した約束を、ヒロ自身がのっけから背いたという真実を知れば、いくらおめでたい頭をした彼でもヒロに反感を持つかも知れなかった。
 だが今の彼なら、その真実を知ろうともヒロを許すことだろう。なぜなら彼の前にはたくさんの"不思議な飴"が、列をつくるようにして道に落ちていたからだ。
 その列はあまりに長く、終わりが見えない。彼は目を疑った。それは彼を洞窟のさらに奥へと誘う、罠のようにも見えた。が、無論、彼の考えがそこに及ぶことはない。
 彼は沸き立つような悦びを胸に、ヘンゼルとグレーテルが帰り道の目印に落としたパンくずを食べていく小鳥のごとく、その列の解体に取りかかっていった。

「あの娘のためだ なんぼとっても 足らんこ たんだ!」
 "不思議な飴"は次々とスピナのバッグに放りこまれていく。アチャモはそれを見逃さなかった。
「俺を恨むな 風恨め あの娘のためだ なんぼとっても 足らんこ たんだ……?」
 
 列の終わりが見え、スピナは顔を上げた。すると目前には視界がかすむほどの白煙が漂っていて、その煙の合間に月の明かりが浮かんで見えた。
 またもや、彼は目を疑う。肌に感じるこの熱気と湿り気は、この白煙が湯けむりであることを知らせた。まさか……と、彼は湯気の中へ走っていく。
 そこは温かな湯の湧き出す、温泉であった。湯舟の縁には黴臭い桶がいくつかあり、手拭いがたたまれている。
 湯殿の四方は洞窟の岩壁に囲まれていて、少し窮屈だが、天井がぽっかりと開いてそこから月明かりが洩れていた。自然の成せる荘厳な露天風呂が、そこにあった。

 スピナは服をかなぐり捨て、勢いよく湯舟に飛びこんだ。やわらかな湯に体をほぐされ、人心地つく。空を仰ぐと満天の星空が広がっていた。
 星々はスピナの胸の鼓動に合わせて輝くようだ。スピナは深いため息を洩らした。荒れ狂う激しい旅路の果てに辿りついた、至福の温泉。彼は安らぎの中にいた。

「はっ! しまった! これが死亡フラグか!」

 ふとスピナは湯舟の底に、いくつか石が転がっているのに気づいた。拾い上げると、ひとつは水色を、もうひとつは赤の透き通った色をしている。
 彼はすぐにそれが"水の石"、もうひとつが"炎の石"であることに気づいた。得がたい進化の石である。
 そういえば"雷の石"もどこかで貰ったな、と思い出したところ、質屋での一件が思い返されて彼は豪快に笑った。気持ちまで晴れやかだった。
 スピナは運良く手に入れた2つの進化の石を、バッグに投げ入れようとした。そこで、彼は異変に気づく。

 アチャモの姿が見えないのだ。

「……なんだと?」

 スピナは湯を蹴り上げて立ち上がった。が、目の前の光景にスピナは思わず立ち竦んだ。

 湯気の合間に橙色の体が見える。凛々しい、ぎらぎらと光る一対の眼が闇に浮かんでいる。
 そいつはずんずんと前へ出てきて、やがて体に月の光を浴びた。体は陶器のように、輪郭がくっきりとする。

 ――そこには進化した"ワカシャモ"の姿があった。スピナは失神して、湯舟に倒れた。     (#58 I 10.08.16)



「――……げほ、げほっ、かはっ……」
 鼻から入ったお湯のせいで咽返るスピナ。
 あれ、さっきまでゆったり温泉に浸かっていたはずなのにな。なんで上半身が地面に放り出されているのかな。あれ。

 体を起こすと、目の前にはワカシャモばかりか、見覚えのあるチコリータまでいる。
 もう一度失神しようかと考えたが、咽るのもつらいのでやめた。

 不意に、腕に極々小さな痛みを感じた。見てみると、細目の縄でも巻きつけたかのような痕がついている。
「これ、チコリータがやった?」
 腕の痕をチコリータに見せながら問いかける。
 チコリータは首周りから蔓を1本伸ばすと、スピナの腕の痕にそって蔓を巻きつける。見事にぴったりだ。
 恐らくスピナが水没したところを引っ張り出してくれたのだろう。炎タイプのワカシャモには困難だ。
 そういえばワカシャモ。何勝手に進化しているんだ。今なら分かるぞ。お前の足元にあるふしぎなアメの包みを見ればなあッ!!!

   * * *

 ドダイトの携帯を探し始めてからもうすぐ30分近く経つだろうか。ミユが突然足を止める。
「今とんでもないことに気づいた」
 ヒロとドダイトも足を止める。
 何に気づいたんだと言う思いでミユを見てみると、その顔は明らかに青ざめていた。
「チコリータがいない……」     (#59 N 10.08.17)



いかにも反省していなさそうな体たらくでワカシャモは鶏冠をぽりぽり掻いて、小さく鳴いた。
人間語に訳すと「わりぃわりぃ」とでも言っているのだろう。全くマナーがなっていないポケモンよ、一体誰が育てたのだろう。
だがしかし逆転の発想をすると、この事件はバシャーモへの新化に一歩近づいたと言えるわけで、そう考えるとスピナは「まぁ、いっか」といとも簡単に許してしまうのであった。

「ところでチコリータ、君はミユのポケモンだね?ミユ達はどうしたの迷子なの?」

「チコー」

「チコー、じゃ分からないよチコリータ。迷子になるなんて全くだらしない方々だなぁ。何やってんだろうね?」

チコリータと会話が出来ないことを悟ったスピナは他愛も無いことを誰に語るわけでもなく独りで呟やいていたが、その声は洞窟に反響するまでもなくすぐに消えた。

「仕方ない、ではご老公一行はヒロとミユのもとへと参りましょうか」

よっこらしょとスピナは特にめぼしいものも入っていないリュックを拾い上げた。
するとワカシャモが薄暗い洞窟内でねずみ色に艶めく爪でスピナの肩をちょんちょんつついた。
どうしたとスピナが振り向くと、見据えた先の地面には半ズボンとパンツのセット、そして半袖の安物Tシャツが砂埃をかぶって散乱していた。
風呂から出た後の事件のせいで忘れていたが、そういえばスピナは一糸纏わぬ姿のままであった。

「きゃー、どこみてんのよえっちー」

その棒読みにワカシャモは反応することもなく、ただじっと洞窟の奥を見ていた。壁にたてかけていた松明の光は辺りを仄かに照らしている。洞窟の先は真っ黒な闇に覆われていた。
スピナは脱いだ際に表裏が逆になったTシャツを元に戻し、付着していた塵を手で払ってから体を通した。
次に表裏が逆になっていなかったパンツを穿こうかとパンツを拾い上げようかと腰をかがめた。

「チコッ!」

前触れも無くチコリータが声を張り上げた。
その声に驚いてスピナが何だ何だと振り向くと、その瞬間ワカシャモの口から紅蓮の炎が渦を巻きながら飛び出し、未踏の洞窟の先へと空気を押しのけてまっすぐ飛んでいった。
その炎は凄まじい熱を伴いながら薄暗かった洞窟内を遍く照らしあげた。
パンツに片足を通したころ、炎が飛んでいった先で人影のようなものと、きらりと鏡のような何かが煌めいたのがちらと見えた。
ようやくパンツに両足を通して腰まであげたころ、炎の渦は先ほど何かが光ったあたりで燃え尽きたようで、また洞窟内に闇が戻った。

「何してんだよ二人と、もっ!?」

パンツを穿き終わって、汚れたズボンに手をかけたときであった。残像すら見えそうな勢いでワカシャモが地面を蹴り次の瞬間にスピナのTシャツの襟を掴んだ。
そしてそのままフリスビーみたいに放り投げられスピナは再び天然露天風呂へと墜落した。水がクッションになったがそれでも軽く頭を打った。
焦った思考回路では何も考えることは出来ず、わけも分からないままとりあえず風呂から出ようとしたとき、
今度は水が苦手なはずのワカシャモがチコリータを抱いたまま風呂へ飛び込んできて、
その落下地点にいたスピナはワカシャモの体に押さえつけられる形でもう一度風呂の底へと沈んだ。また頭を打った。
息が出来ない、思わず目を見開いてしまったがお湯が目に進入してきて熱かった。
するといきなりぱしゃぱしゃ音をたてて揺れていた水面が真っ赤に染まった。お湯がもっと熱くなった。赤いのは炎のようだ。
水面下まで酸素が悲鳴をあげているのが聞こえてくる。さっきのワカシャモのとは比べ物にならないほどの炎の嵐が水面上で吹き荒れているのだ。
そうか、さっき光ったあれは、ミラーコートとかいう技なのね!ついこないだ船の中でヒロから聞いたんだ。
ヒロ曰くミラーコートは特殊技とかいう分類の技の威力を2倍とかにして返してくる技らしい。どうりでめっちゃ強そうで熱そうな炎が吹いてるわけだ。
スピナは若干体内から酸素が無くなりかけていることに焦りを覚えつつ、炎が止むのを待った。
しかしまぁ一体、誰がミラーコートなんてするんだ?おかげで服びしょぬれだよ、バッグ内絶対やべーよ。スピナは姿が見えない相手を恨んだ。     (#60 B 10.09.06)



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