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 ――ドダイトは燦然と輝く巨龍、赤いギャラドスの姿を認めると、全身に戦慄が走った。
「……ッ! 来た!」

 事態は目下のところ混乱を極めているようである。この惨状は、かつての巨大勢力同士の抗争を思わせた。
 形勢がこちら側に傾くと、すぐさま猛反撃を食らって旗色が悪くなる。誰かが倒れても、構っていられなかった。
 戦線の先行きがまるで見えないからだ。そんな戦局に飛びこんで来た伝説の竜、赤いギャラドス。
「血沸き肉躍る、とはこの事だな!」
 ドダイトは神話を信じない。彼はその信条が、やはり間違いではないことを、今一度確認せざるを得ない。
 彼の視線はヒロに注がれていた。

   ***

 ……ヒロは我を失っていた。
 周囲に威圧的な存在感を放つ赤いギャラドス。あれこそヒロの手持ちポケモン、コイキングの姿なのである。
 ヒロは注射器を打つ感触を今でも憶えている。肉の柔らかさが、注射針にまとわり付く。
 暴走剤を全て注射し終えた瞬間に、コイキングの身体中が脈動し始め、抱いてはいられないほどその重量感が増した。
 その後のことは、さっぱり憶えていない。ただ、ヒロは自分の無力感に苛まれ、F5を手に取った――

 赤いギャラドスの威嚇を前にすると、理性のタガが外れたカブトプスでさえ、その凶暴性を悟った。
「すごく、大きいです……」
 致命傷を負ったワカシャモを介抱しながら、スピナが呟く。黒服は唖然とした。
 あらゆる種類の怒りを全て、具現化したような竜が、彼らの目前に雄々しく立ちはだかっているのだ。この光景には怒りの湖の伝説を思い出さずにはいられなかった。
 ミユはベイリーフとマリルリの戦闘姿勢を解かない。彼女たちは竜の威嚇に屈しないほどの精神力を持っていた。
「こいつはどっちの味方なのかなっと」

 突如ボーマンダの背に跨り、イコスが湖の中から姿を現した。上空で何度か旋回し、状況の把握に努めている。
「スピナ君、気をつけろ! そいつは竜の怒りを撃つつもりだぞ!」
 ギャラドスは口を開いた。てらてらと輝く赤い鱗に、白い牙が映える。その目の焦点はどこにも合わせていなかった。
「えっ。何ですか、 竜 の く し ゃ み ですか」
「馬鹿かこいつ」
 マリルリは横殴りの雨に乗り、スピナのもとへ駆けて行く。尻尾に再び冷気が込められ、アクアテールがそのまま彼の顔に直撃した。
 スピナとワカシャモは放物線を描いてベイリーフの生み出す草木のクッションの中へ滑り落ちる。

 しばらくして、ギャラドスの全身から青い炎のようなものが浮かび上がった。準備は整ったと見て良い。
「くっ、カブトプス! ストーンエッジだ!」
 無駄な抵抗である。ギャラドスはその高エネルギー体の照準を、カブトプスに合わせた。     (#81 I 10.12.18)



 ワカシャモをボールに戻したスピナは、ギャラドスの目の焦点がカブトプスのほうを向いたのを確認して、勢いよく走り出した。
 向かうはポケモンセンターへ。誰よりも速く。風を斬って。スピナは風になった。
 今の彼をそこまでさせているのは、ワカシャモを助ける気持ちと、―――。
 黒服とヒロが、同じことを叫んだ。
 「おい! アイツ逃げたぞ!」
 「うっせーハゲ!バーカ!」
 悪態をつきながら走り去る彼を追おうとした黒服だったが、それは出来なかった。
 今は小僧を追いかけるより、ドダイトの護衛のほうが大事である。しかしそれも出来なかった。
 ギャラドスの口には既に、煌々と輝く瑠璃色の炎が手に取るように見えた。あれが放射される時刻は、数えるまでもないだろう、と肌で感じたからだ。
 ギャラドスの青いオーラが光を増した。コロナみたいに靄るそれは鱗の赤と対を成していて、
 沛然と降りこめる雨のなか、神秘的なグラデーションを薄暗い湖の上に造りあげていた。
 そこにいた誰もが、息を呑んで、雨の音も聞こえないみたいにその光景に目を奪われてしまった。ただ一匹を除いては。
 血走った目をしたカブトプスは、それでも主人を抱えて地面を蹴った。土が削れたのと、炎が飛び出したのは同じタイミングだった。
 「うおっ、まぶしっ」
 凄まじいエネルギーが光となって辺りにつき刺さった。太陽を直接見たような眩しさを受けて、全員が目を瞑った。
 何も見えない彼らに少し遅れて、雷のような空気を切り裂く強烈な音が響き渡った。ミユのあげた悲鳴は、その音にかき消されて誰も聞くことが出来なかった。

スピナは、背後で色々なことが起こっていることを光とか音で感じていたが、振り向いたら面倒なことになりそうな気が薄々したので、振り向かないことにした。      (#82 B 10.12.18)



 雨は降り続いていたが、先ほどまでの篠突く雨から一変して、それは静かに、涙を流しているかのようだった。
 二人の黒服とカブトプスが倒れている場所には、クレーターのような小さな穴ができていた。
 さらに背中一面に火傷を負ったカブトプスの姿も、竜の怒りがいかに高威力だったかを物語っている。
 しかし、それでも黒服たちは生きていた。対象を麻痺させる効果を持つのでまともに動くことはできなかったが、生きていた、ということが重要なのだ。
 BsEの何倍も強力なF5(あるいはE-hitの可能性もある)を投与されたギャラドスの攻撃は、本来その程度で済むはずはない。
 殺さない程度に調節したのではないだろうか。だとすると、理性は残っているというのか。
 ヒロはもう一度ギャラドスを見上げた。その目は黒服でもなく、自分でもなく、どこか遠くを見ているようだった。

 イコスは淡々と手続きを進めていた。報告書に書く内容をまとめたり、エンジュ支局に携帯電話で応援を頼んだりしている。
 会話の内容から察するに、二人はドーピング取締法違反の容疑で逮捕され、カブトプスは「証拠物件」としてグレン島にあるポケモンラボに送られるらしい。
 今考えれば、薬を投与したところでそれはポケモンの体内に残るのだから、捕獲してしまえば結果は同じだったのだ。
 一通りやることを済ませた後、イコスはコートから煙草を取り出したが、水に濡れていて使い物にならなかった。
 しばらくそれを見つめてから、結局コートに戻してしまった。
「実に残念だったよ」
 彼は突然振り向いて、ヒロに話しかけた。
「こんな雑魚捕まえたって、実際は何の足しにもならないんだ。まあ見せしめとしては使えるけど、あの小僧を逃がしたのが本当に」
 イコスは途中で言葉を切った。憎悪の念がむき出しのまま飛び出してきそうなところを抑えたのだった。
 ちなみに黒服二人は麻痺して動けないため放置されていた。応援が駆けつけるころには手錠をかけられるだろう。
「ところで、イコスさん。ボーマンダは大丈夫なんですか?」
 ミユが丁寧な口調で聞いた。青い巨体の左半身が焼け焦げているのにどうして平気でいられるのか、ということだった。
「ああ、これかい。ダークライの規格外の破壊光線に比べればかすり傷みたいなもんだよ。もっとも本人はトラウマに思ってるらしいけどね」
 イコスは照れ笑いを見せながらボーマンダを見た。ミユには何のことかさっぱりわからなかったが、ダークライ、という言葉に母が語る冒険譚を思い出した。
 もっとも、その母の話も「ダークライの中に入ったことがある」という意味不明なものだったのだが……。

 チョウジタウン。
 湖では水曜日を除いて四六時中雨が降っているので時間の感覚が無くなってしまう。スピナが誰よりも早く逃げ帰ってきたときには太陽は高く昇っていた。
 昼のポケモンセンターは人々の社交場になっているのだが、そこでは湖から唸り声が聞こえて爆音がして光が溢れ出して、と情報が錯綜していた。
 スピナはそれを全部体感して生きて戻ってきたのだと言わんばかりに堂々とロビーを進んだ。
「僕のワカシャモが激しい戦闘の中で傷ついてしまって、それを救うべく走ってきました。治療をお願いします」
 スピナは今世紀一番のキメ顔を披露したが、半分も聞かないうちにジョーイは「お預かりいたします」とマニュアル通りの対応を見せた。
 傷が深く、治癒にはしばらく時間がかかるというのでスピナはロビーの椅子に座り、何気なくテレビを見た。昼のニュースの時間である。
「……いわゆる『暴走剤』を実際に使ったところを発見したことで、国際警察が身元不明の二人の男を逮捕する見込みです。エンジュシティの支局からも応援部隊が出発しました」
 ついさっき起こった事件だ。一心不乱に逃げ出してきたが、どうやら無事おさまったみたいだ。
 続いて映像がエンジュシティに切り替わる。サイレンを鳴らして走っていくジュンサー隊は、およそ十人といったところか。
 ところが、スピナはその奥にいた人物を見て驚いた。マツバとファインが、並んで映っていたのだ。
 これは確実に何かありそうだ。ヒロたちが帰ってきたら伝えなければならないだろう。しかし……
「リアジュウと一緒にいるってことは、あのファインもリアジュウかよ。けしからん世の中だよなあ」
 結局、一人嘆息するスピナであった。     (#83 W 10.12.18)



 ヒロたちは緊急に建てられた、警察たちの本部テントの中にいた。重要参考人として、事情聴取を受けている。
 2人は当たり障りのない受け答えをするように心がけた。ヒロの薬を狙って黒服たちが現れたなどと、口が裂けても言えるわけがなかった。
 ましてヒロはその薬を、条例を破って使用してしまったことなど……ミユは余裕を見せるため、雨で濡れた髪をタオルで拭い、櫛で梳かし始める。

 ひとまず任意の聴取を終えて、一息ついたころである。テントの屋根に雨の打つ音が響く。
 こうして眺めてみる怒りの湖は、とても静かだ。周りでは警察たちが忙しく動いているが、雄大な湖を見ている限り無音の世界にいられた。
 ヒロはそうしたリラックスした状態で、再び頭を巡らせる。問題は山積みである。彼のモンスターボールの中にはあのギャラドスがいた。
 イコスに見られぬよう、こっそりとボールに戻したのだ(素直にボールに戻ったくれたことには驚いた)。依然、ギャラドスの身体は赤色のままである。
 かれこれもう2時間は経つが、これは薬の効果が持続しているということなのか? ずっとこのままなのだろうか……だとしたら、少し困る。
 この一件で、マスコミは再びこの伝説に熱を取り戻したらしい。畔の方ではテレビ局の者が数十人と集まっていた。
 間もなく中継が繋がるということである。もっとも、目玉の赤いギャラドスは、ヒロの手の内にあるのだが。
 こうなると、もうギャラドスを外に出すだけでヒロは注目を浴びることになる。それは何としても避けたいことだった。
 こうなると、ヒロの居場所が即座に黒服たちの知れるところとなる。

 そして何よりの問題は、ポケモン協会の条例を破ったことである。
 そんな条例があることなど露ほども知らない彼らだったが、現にこれを使用して逮捕された黒服たちを目の当たりにしたのだ。
 この歳にして犯罪者か、とヒロは力のない笑いを浮かべる。まったく、信じがたい現実だ。
「ヒロ、どうする?」ミユが挙動不審に辺りを見回し始める。
「決まっているだろう」
 ヒロはミユの手を取った。周りの警察たちの隙を見て、2人はそこから姿を消した。

   ***

「やあ、沖田。面白いものを見たぜ」
 イコスは新たに買ってきた煙草に火をつける。推理に行き詰ると、彼はこうする。
「アミダの娘が、アクアテールを使うマリルリを持っていたんだ。あのマリルリは、きっとママの――」
「こ、コードネーム、イコスさん! 新たな証人を連れて参りました!」
 甲高い声がする。振り返ってみると、チョウジの老人警察だった。後で電話する、と言ってイコスは携帯を閉じる。

「はいはいお爺さん、証人って一体何を言っているんだい?」
 老人の指差す先にはエンジュシティ・ジムリーダーのマツバと、白衣の男・ファインが控えていた。     (#84 I 10.12.22)



 ――なぜ、この二人がここに?

 イコスにとっては意外な取り合わせだった。マツバはエンジュジムリーダーであり高名な霊能力者でもある。
 かたやファインは薬品研究員でありながらポケモンバトルの腕前は見事なもので、一か所に定住せず愛車で各地を放浪している。
 対極にあるような二人――強いて言えばバトルが強いことが共通項か――が目の前で並んで立っている。イコスは警戒せざるを得ない。
 無言のにらみ合いが続く。後ろでチョウジの年老いた警察官がうろたえているのを見て、イコスが言葉を発した。
「まあ、ずっと立ってるのも疲れるだろう。座ってくれ」
 チョウジタウンの仮設テントに二人を促した。彼らは静かにイコスの指示に従った。

 小さなテーブルを挟んで向かい合う。再び無言の時間が始まった。
 ファインはあくまで穏やかに振る舞っているが、その内側は激しく揺れ動いていた。
 ヒロの聡明さを逆手に取り湖におびき出したまではよかったが、そこに警察が現れるとは予想だにしなかった。捜査のスピードは彼の予想よりもずいぶん早かった。
 そして、ドダイトはまたも失態を演じた。捕まったかどうかは問題ではない。結局あれ以来定時連絡は無く、信用は完全に地に墜ちた。
 そこで彼は、マツバと共に少年たちの保護側に回って見せようと考えたのだ。執念深い彼は決して諦めない……暴走剤は投与されても必ずその跡を残すことは実証済みであった。
 あの赤いギャラドスがヒロのコイキングであることも知っている。なぜなら、湖のギャラドスはもう二年も前に、彼の主導で暴走剤の対戦実験体として捕獲していたのだから……。
 問題は今までの態度が狡猾に過ぎたことだ。それを解消するために、マツバを説得したのだ。そのマツバも、ファインの思惑を知らないわけではない。
 精神力が鍛えられているため、そう簡単に本心を覗き込むことはできないが、彼の心の奥にも赤い薬が渦巻いていた。かつてヒロ少年の中に見たときと同じように。
 三人を守りたいというのは出会った当初から思っていたことであるし、老師も意外なほどあっさりと承諾してくれた。三人の運命に身を委ねるのも決して悪くは無い、というのだ。
 それにファインと同行していれば、あの怪しげな組織に関することもつかめるかもしれない。もちろん、心の奥底に封じ込めておかねばならないことである。

 イコスは目の前の二人の顔を注視しながらも、あの三人のことを考えていた。実はあのギャラドスがヒロのコイキングであったことは彼も知っていた。
 湖に落ちてボーマンダを探しているとき、突然白く光るものが飛び込んできて、それが光と音をまき散らしながら急激に膨張するさまを間近で見ていたのだ。
 それゆえに、イコスは彼らを保護する義務を、より一層強く感じた。しかも……三人が危険な目に遭ったとなれば、あの「親たち」から何と言われるかわからない。
 国際警察で活躍する今も、個人的な付き合いは続いているのだ。

 ――しばし心の読み合いが続いた後、イコスは目をそらし、煙草を取り出して言った。
「まあ、じっくり話すことにしよう。時間の許す限りね」

   ***

 ヒロとミユはチョウジタウンに舞い戻ってきた。舞い戻ってきた、というのは、町の北の崖から突然飛び出してきたという意味である。
 普通は43番道路を南下するのだが、報道陣がひしめく今は思うように進めないうえに、怪しまれかねない。そこで、険しい脇道をあえて走ってきたのであった。
 しかし今の彼らには少しの時間も惜しかった。ポケモンセンター目指して走り出すと、運よくスピナが近くを歩いていた。
「ありゃ、お二人さん、どこから現れた?」
「詳しい話は後にする。とりあえずこの町から出よう」
 ヒロは肩で息をしながらも早口に言い切り、方向転換して西に向かった。
「え、ねえヒロ、こっから先のことはあたしも聞いてないんだけど?」
「コガネシティ。故郷のコガネシティに向かう」
 背中で答え、後ろを顧みることもなくずんずん進んでいく。ミユとスピナも、彼を追わないわけにはいかなかった。
 ジョウトが誇る大都会・コガネに向かうには42番道路を通りエンジュシティから南下するのが一番早い。
 しかし、誰かに見つかるかもしれないと考えると、チョウジの西に延びる44番道路を通り、
 暗闇の洞穴を通って31番道路に出て、そのままキキョウシティを通って東に進む、というルートしかなかった。
 ヒロには、そこまでしてコガネシティにこだわる理由があった。
 いずれ本来受け取るべきだったミズゴロウを取りに行こうというのは最初から考えていたが、
 今はさらに、黒服のリーダー格がいるであろうかの町に飛び込み、挑戦状を叩きつけてやろうという目標が加わった。
 そうしなければならない理由は特になかったが、自分の運命を多少なりとも翻弄した彼らに報復してやりたかったのかもしれない。
 それはひょっとしたら、父の望みでもあったかもしれない。赤い薬には、思ったよりもはるかに多くのメッセージが込められていたのではないか。

 春といえど、山間部は風が吹けば今も肌寒さを感じる。天から吹き下ろす風の先、澄み切った蒼穹に、スイクンの青を感じた。      (#85 W 10.12.22)



 本部テントに、ヒロとミユの姿が見えない――イコスは横目にそれを見て、大きく舌打ちした。
 向かいに腰を下ろす2人は、その舌打ちにビクリと身体を震わせる。
 イコスは平静を取り戻すため、一服つけて、怒りの湖を見た。が、全くの無駄だった。むしろ苛立ちが募るばかりだった。
 あの親たちには悪いが、ヒロの身柄を拘束することも、これからは決定事項として考慮しなければならない。避けたい事だったが、こう動かれると他に仕方がなかった。

「……まずは、ここでゲストの紹介だ」
 イコスはテントの外で雨に打たれている老人警察を、中へ手招いた。2人は顔を見合わせて首をひねる。
「紹介しよう、このお方は――」
「説明は私からやる。黙っていろ。コードネーム、イコス」
 突如、老人警察はその痩せこけた頬に自分の手を当てた。すると老人警察はその指を、徐々に皮膚の内側へとめり込ませていく。
 それはまるで、自分の顔の肉を抉り取ってしまわんばかりの勢いであった。ブチブチと、肉の神経のちぎれる音がする。
 固唾を呑んでマツバとファインが見守る中、老人はついに、その肉を剥ぎ取ってしまった。

「話は聞かせてもらった! 人類は滅亡する!」
 男は仮面を脱ぎ捨てて、決め台詞を放った。その男のコードネームをハンサム。世界をまたにかける、国際警察のリーダーである。
 ハンサムが変装を解くと、たちまち周囲から拍手喝采が巻き起こり、備え付けられていたスピーカーからは"ハンサムのテーマ"が流れ始める。
 あのしんみりとしたED後の雰囲気をぶち壊しにしたBGMだ。イコスは呆れて言葉もなかった。
「ハンサム……いい加減こういうパフォーマンスは、控えたほうがよろしいかと」
「黙れイコス! 貴様に何が分かる!」
 ハンサムは変装の達人である。また、全国を駆け巡る国際警察の中でも、腕利きの精鋭として数えられる人間のひとりでもある。ハンサムの活躍ぶりは目を瞠るものである。
 イコスも国際警察を任官された当初は、実力者として君臨する彼に憧れを抱いたものだったが、そのエキセントリックな性格には興醒めだった。

「さてマツバ君、ファイン君。初めまして、私は世界をまたにかける国際警察のメンバー、ハンサムだよ」
「はあ、どうも」2人はただただ、気後れするばかりだった。
「君たちの情報は事前に調査させてもらった。ファイン君は、なかなか興味深い人生を歩んでいるようだったが」
 ハンサムはにこりともせずに言う。だがファインは、それには怯まなかった。
「僕は黒服側の人間ではない。そいつはドダイトのことを言っているんだろう」
「イコスの報告によると、そのようだ。だが、ファイン君はどこに染まっているというわけでもない。
 それならばファイン君、お前は一体何者だ? 私の情報網を駆使しても、足さえ掴めなかった」

「僕は」ファインは静かに口を開く。「僕はPOCの一員だ」     (#86 I 10.12.22)



 ハンサムは首をかしげた。ファインの言う「POC」が何のことかさっぱりわからなかった。
 ところがイコスには何か引っかかるものがあった。以前ウィーナがその話をしていた気がする。だが詳しくは思い出せない。
「多くは話せないが、十年以上前に結成された組織だ。ポケモンの無限大の力を研究し、その平和利用を目指している」
「どうせ、それを口実に薬を狙っているんだろうが。騙されんぞ」
「話は最後まで聞いてくれ。あの薬だって、今は暴走剤なんて呼ばれ方をしているが、元はポケモンバトルをより刺激的にするために開発したんだ。
 効果は一時的だし、一時間もすれば元通りになる。ところがいよいよ売り出そうとしたときに……」
 ファインはそこで顔を伏せた。思い出すのも忌々しいらしい。
「……裏切ったやつがいた。あれはいつかの年末だったかな。話も聞かず一人で勝手なことをして、しかも手柄顔だ。
 その時の幹部が即刻組織から除名したんだが、厄介なところに逃げ込まれて……迷惑してるのはこっちなんだ」
 国際警察の二人は、彼の話を注意深く聞いていた。もともと全てが信用できるわけではないが、イコスはその話に心当たりがあった。
 記憶がだんだんはっきりしてくる。あの時のウィーナも、目の前のファインと同じ、忌々しげな顔をしていたはずだった。
「そして、ここから先はあんたたちも知っていると思うが、あの後すぐカツダイという男が旗揚げした強盗団『スラアレク』に入りやがったんだ。
 組織の名前が変ならそれを率いる奴はなおさらだ。毎年のように被害に遭うんだから」
 スラアレクのことはハンサムも調査済みだった。というより、そのカツダイこそが黒服たちのリーダーなのだ。
 影武者を何人も持ち、先日アサギで捕まったのもその一人であったらしい。
 イコスも彼の横で怒りを露わにしていたし、ファインも、もう話したくないという風にそっぽを向いた。
 彼らの憤懣がいかほどのものかは、隣に座るマツバには見えすぎるくらい見えていた。
「……ということは、お前たちの組織は薬を『取り戻そう』としているわけか」
「その通りだ。僕だってあの少年たちを知らないわけではないからね」
 ファインは横目でイコスを見る。イコスにはもはや疑いの余地は無かった。
「さあ、もういいだろう。これでも僕たちを外に出してくれないのかな」

   ***

「おお、寒い、寒い、なんでこんな、冷たいん」
 ヒロたちは暗闇の洞穴で休憩を取っていた。ずぶ濡れになったスピナをワカシャモが温めなければならなかったからだ。
 スピナが寒いのは嫌だというので氷の抜け道を通らず苦心して山道を越え(そのくせスピナは何度か滑落しかけた)、
 そのままフスベを通り抜けて暗闇の洞穴に入った。
 さらに迷路のような洞窟をワカシャモの炎を松明代わりにして手探りで進み、
 野生のポケモンが襲い掛かってくるとベイリーフとマリルリが華麗にさばき、休む間もなく歩き続けた。
 しかしついに、スピナが洞穴に流れる水脈に転落してしまったのだ。
「あーあ、ほんと長いこと歩いたよね。探検隊みたいじゃん」
 ミユの言葉には不満は無かった。ポケモンたちの活躍を見て、むしろ探検を楽しんでいるようだった。
 母親譲りの好奇心が早くも花開こうとしているのだろうか。そうだとすれば、アミダの目的は早々に達せられたことになるだろう。
「ところで、今さらだけどさ、本当にこっちで合ってんだよね?」
「俺もわかんないけど、キキョウは西の方向だ。西に向かって進めばいいんだ」
 ヒロはコンパスを見ながら言う。チョウジタウンで眠れなかった夜、何気なくリュックを漁ると底の方から出てきたのだ。
 この辺の細かい気配りはさすがにウィーナらしい。そして、そこに張り付いていたメモも……。

 問題は食糧だった。といっても、スリバチ山で拾った木の実が大量にあるから、飢え死にはしないのだが……
「それにしてもさあ……オレンはおいしいよ、おいしいけどさ、いい加減肉食いたいんだけど」
 ……一日に何度言えば気が済むのだろう。ヒロもミユもこれには閉口するしかなかったのだ。
「よし、そろそろ出発しようか。ワカシャモ、また前に来てくれるかな」
 ヒロが立ち上がる。ミユも水を飲んでいるベイリーフとマリルリを呼び戻した。
「あ、いやわかった、わかったからちょっと、まだ寒いんだって――」
 ワカシャモもすぐにヒロの前に立った。空気を読むことには長けているようだった。     (#87 W 10.12.23)



「やあ、久しぶりだね」
「……ファインか、なんの用件だ」
「お久しぶりの一言でも言ってくれればいいのに、まあ仕方ないよね。
 ドダイトがまたミスを犯してね、その尻拭いといった形でさっき僕が国際警察に絡まれることになっちゃったよ」
「暴走剤関連の話には俺はもう関わらないと言ったはずだが。ところで警察と言ったか? この会話は危なすぎる、切るぞ」
「安心してよ。ジャンパーについてた盗聴器なら、今頃公園のゴミ箱で子供たちの声を拾ってるところだ」
「……なら、いい。ところでお前が電話をかけてくるということは、俺に関連する何かなんだろう。なんだ」
「簡単に話すと、ヒロ君がBsEを使った。そのせいで"イコス"っていう国際警察が目を光らせている。
 君の知り合いなんだろう? 同じPOCの一員として、伝えておくべきだと思ってね」
「とてもじゃないが、信じられない」
「信じるも信じないも君の勝手だ。それじゃあ切るよ。またねウィーナ」     (#88 B 10.12.30)



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